雨氷

搗き立ての少し小振りの切餅を紙に包み、10切れを細縄3本で数珠のように編み上げる、これを1連という。
餅つきに使った木臼に水を張り、編み上げた切り餅20連ほどをその中に沈める。
切餅に水を充分含ませるのが目的であるから1昼夜を必要とした。
ころあいを見計らって水から引き上げられた連は、2連を振り分けに結んで、寒風が吹く北裏の軒先にすだれのように吊るされた。
気温が最も下がる2月初旬の風物詩であった。マイナス10℃を越す寒さの中で、切餅に含まれた水は分子の単位で凍り、吹く風で乾燥が進む。
しかし自然任せは悠長である、3月末梅が咲くころになってようやく凍餅が完成する。
食べる人がいいなくなって(温暖化も一つの理由かもしれないが)凍餅は死語になった。

搗き立ての少し小振りの切餅を紙に包み、10切れを細縄3本で数珠のように編み上げる、これを1連という。
餅つきに使った木臼に水を張り、編み上げた切り餅20連ほどをその中に沈める。
切餅に水を充分含ませるのが目的であるから1昼夜を必要とした。
ころあいを見計らって水から引き上げられた連は、2連を振り分けに結んで、寒風が吹く北裏の軒先にすだれのように吊るされた。
気温が最も下がる2月初旬の風物詩であった。マイナス10℃を越す寒さの中で、切餅に含まれた水は分子の単位で凍り、吹く風で乾燥が進む。
しかし自然任せは悠長である、3月末梅が咲くころになってようやく凍餅が完成する。
食べる人がいいなくなって(温暖化も一つの理由かもしれないが)凍餅は死語になった。
スポットライト

建国記念の日、戦時中は紀元節といった。
学校で式典があり、講堂に整列した全校生徒がオルガンの伴奏で「雲にそびえる高千穂」を歌った。それはおぼろではあるが今でも覚えている。
紀元節は授業は休みである、式典が終わると全員にX字型に交差した国旗が印刷された紙に包んだパン菓子が配られた。
パン菓子がよほど嬉しかったのだろう、学校から帰るとすぐ野良にいる父親に報告に走った光景を思い出すことができる。
それらはいつしか子供達に重なり、孫の姿にもオーバーラップしてくるのだけれど、その原点が紀元節のパン菓子に由来する事は間違いない。
小学校(国民学校)1年生か2年生の時である。
菓子というものが無く、甘いものに飢えきっていた子供たちにとって、小さく固いパン菓子は、明日の希望につながる虹のような存在だった。

建国記念の日、戦時中は紀元節といった。
学校で式典があり、講堂に整列した全校生徒がオルガンの伴奏で「雲にそびえる高千穂」を歌った。それはおぼろではあるが今でも覚えている。
紀元節は授業は休みである、式典が終わると全員にX字型に交差した国旗が印刷された紙に包んだパン菓子が配られた。
パン菓子がよほど嬉しかったのだろう、学校から帰るとすぐ野良にいる父親に報告に走った光景を思い出すことができる。
それらはいつしか子供達に重なり、孫の姿にもオーバーラップしてくるのだけれど、その原点が紀元節のパン菓子に由来する事は間違いない。
小学校(国民学校)1年生か2年生の時である。
菓子というものが無く、甘いものに飢えきっていた子供たちにとって、小さく固いパン菓子は、明日の希望につながる虹のような存在だった。