徒然なる日々からの歳時記

徒然なるままに日々の歳時・興味を綴っております。

どこでもブック

2006年11月20日 | 本と音楽の話題
最近,自分の日常行動の範囲に,積ん読本(買った後,積んだままになっていた本たち)を配置していたりする。枕元に始まり,家のPC机の脇,職場の机の引き出し,挙げ句の果てはトイレにまで・・・。同じ本も持ち歩いた方がいいのでは?という意見もあるかも知れませんが,沢山の積ん読本たちが日の目を見る可能性を上げるには,意外と良策のようです。

そんな「配置本」から「持ち歩き本」に格上げになり,晴れて「積ん読」を卒業した一冊を紹介。昨年度の直木賞受賞作品だったのですが,うちではしばらく「積ん読」状態でした。推理小説にありがちなごちゃごちゃとした人物関係や手の懲りすぎたトリックはなく,じっくり読ませてくれる作品でした。

→ 東野圭吾『容疑者Xの献身』文藝春秋
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始まりの地は現在

2006年11月14日 | ちょっといいとこ,いい景色
高知県檮原町,愛媛県との県境,四万十川の源流近くに位置する山村。標高220~1455m,町全体の9割を森林が占める。

今から15年前,この町で始まり,全国に広がった取り組みがある。「棚田オーナー制度」,都市住民などの参画を得て,棚田を守って行こうという取り組みである。棚田を有する市町村や,団体,個人等が一堂に会し,棚田の保全・継承のあり方について考えていく「棚田サミット」という催しも12年前,この町から始まった。

先日の高知訪問時に「始まりの地」を訪ねてきた。

「神在居(かんざいこ)の千枚田」

作家の司馬遼太郎は,85年の秋,檮原を訪れ,著書「街道を行く」の中で,「千年来,檮原の山々にきざみつけてきた先人の営みはこの田が証している」と書いた。

「この田」を条件の悪い農地や水田としてではなく,「棚田」として守っていこうという試みから,今日の全国的な棚田保全の取り組みが始まったといっても過言ではない。

受け入れ農家の高齢化,新規オーナーの減少,オーナー制度の継続の前に大きな課題が横たわり,「始まりの地」も転機を迎えようとしている。

追記:
檮原町のあちこちで見かけた小さな茅葺きの小屋。「茶堂」と呼ばれ,昭和30年代ごろまでは,夏の間,町民たちが持ち回りでお茶番を担当し,そこを通る人なら顔見知りであろうと,遠方からきた旅行者であろうと,誰彼なしにお茶を出しもてなしていたという。決して交通の便が良い訳ではない山村に,多くの観光客が訪れるのは,檮原のもてなしの文化が,今もしっかり息づいているからでは?と感じました。
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