僕は「3年B組 金八先生」が好きで、あのドラマ
にインスパイアされ、無性に教育問題について書きたく
なり、教育の素人である僕が「れいんぼ~の教育論」という
大それた事を連載形式で書いていましたが、それも
今回までです。最後は思い出話です。
「学級崩壊」は今始まった事では無いです。
教師が悪い、親が悪い、などと責任のなすりつけ合いをし
ても何の問題解決にも成らないと思います。
「教師」が社会的に地位があり、威厳があった時代から
「学級崩壊」の兆候はあったと思います。要するに
あからさまに教師に反抗的な生徒や、授業を妨害する
生徒は昔からいました。「いじめ」「シカト」
「衝動的なキレ」「自己中心的なわがまま」
「幼児的に騒ぐ」などずっと学校現場には有った
事だと思います。思春期は、大人を敵と見なす傾向
にあり、それらは成長過程では必要な「反抗期」です。
要は社会や正論や常識に反感を持つ事で、新たな時代
を築く原動力になり、親離れをし自立心を養うので
一概に「悪い」とは言えません。
じゃ、それをコントロール出来なくなった教師側に
否があるのか?と言うと、そうとも言えません。
保護者が厳しい教育を否定し、何かあると「教育委員会だ」
「文部省だ」と騒ぎ立てるモンスターペアレンツのような
保護者など、学校現場が親の監視下になったがために
教師が生徒に対して強く出れなくなり「学級崩壊」の
連鎖拡大になったと思います。
矛盾し前言否定的になりますが、やっぱり「学級崩壊」の
第一原因は教師の資質にあると思います。
強引ながら、僕の小学4年生の頃の話をします。
小学4年生とも成れば、男女を意識しだし、男女間でヨソヨソ
しさが出てきます。男子は女子の前で粋がったり、わざと
好きな子をイジメたり、体育の時間の着替えが恥ずかしかっ
たりと、男として目覚める年頃です。
そんな小学4年の担任は、教師になって1年目か2年目ぐらい
の新米教師でした。
若くて、きれいで、化粧も濃く、口紅もクッキリ付けた、
お水な雰囲気の先生でした。明らかに他の「真面目な大人」と
いった印象とは違う先生でした。
先生である前に、若くて、きれいなお姉さんでした。
化粧や、ヘアスタイルや、服装からして、先生らしく無かったです。
教師としてではなく、女として教団に立っていました。
美人で、セクシーで、女の魅力満載な先生と、僕達生徒はどう
接していいのか分からなかったです。先生らしさが無い、お姉さん
が先生ぶってる感じで、徐々にクラスは乱れはじめました。
先生の話を聞かなくなり、授業中にお喋りを止めず、先生は
「静かにしなさい」と注意しても、教室が静まる事は無かった。
そして、先生は、授業放棄で泣きながら職員室に帰る事が度々
あり、他の教師が凄い剣幕で来てクラスが怒られるという事が繰り
返されました。
他の教師が授業をする時は静かなクラスなのに、美人担任が
授業をすると、クラスは荒れました。
僕は物静かな人間性なので、騒いでいるクラスメイトを横目に
見ている程度でしたが、騒いでいる連中は教師を試している
ような感じでした。こうやったら、どう返ってくるのかを試して
いるようで、結果「この人は先生に向いてないよ」と結論づけた
のか、荒れ方はエスカレートしていきました。
いわゆる「学級崩壊」です。生徒が教師を舐めきった「教師いじめ」
の図式が形成されました。
教師と生徒の師弟関係や信頼関係が崩壊し、問題児達が暴走しました。
そして、担任の先生は度々体調不良を理由に、学校を休むように成り
ました。
この担任の先生は、子供に逆らわれた際の対処法を持ち合わせて
いなく、子供の反乱から逃げました。
担任の先生が休みがちに成ったのは、多分、僕達生徒に原因が
あったと思います。僕の想像ですが、自分の無力感を痛感し、
自分を責め、自信を失ったのでしょう。
だから、教師と言うのは「鋼の精神力」がなければ勤まらない
仕事です。そういう意味で、あの美人の担任の先生は、繊細
すぎたゆえ、教師の資質不足だったと思います。
クラスが騒いだら、原因究明、改善対策、対話など、やる事
はいくらでもあったのに、あの担任の先生は問題から逃げた
だけで、子供の見本に成る様な大人らしい対処を出来ません
でした。
子供でも、とことん心を通わすように話し合えば分かって
くれると思います。学習内容より、善悪、しつけ、モラル、
礼儀などの方がずっと重要な課題です。教育の原点は
「社会で生きていける人間育成」だと思います。
だから「子供が騒いで授業にならない」とか嘆いている
教師は、教師失格だと思います。その騒いでいるクラスを
鎮圧化し、生徒の事を充分に理解し、生徒に影響を与える
のが教師の務めです。
昔は教師の体罰が横行していたので、暴力で生徒を押さえ
つけ、悪いことをした者には罰を与える事で「学級崩壊」
を抑えていたと思います。保護者も、学校の事は先生に
任せていたので、問題化する事はありませんでした。
でも、僕はいかなる場合も大人が子供に暴力を振るう行為
は駄目だと思っている派で、最終手段だと思っているので
「体罰禁止」の流れはいいと思っています。
今は体罰は全面禁止で、体罰で懲戒免職にも成りえます。
だから、より教師の資質が求められています。暴力や
怖さで、服従させるのは簡単ですが、そんなのでは
生徒との信頼関係なんて築けないと思います。
教師の一言は人生を左右する程の影響力を持つべきです。
だから、教職員は、授業が上手いとかの基本技術以外に
人間として優れているべきなのです。だから、教師は
選ばれし人のみ成れる特殊なポジションであるべきだと
思います。今後の日本を作っていく人材育成の発端なの
だから・・・。
にインスパイアされ、無性に教育問題について書きたく
なり、教育の素人である僕が「れいんぼ~の教育論」という
大それた事を連載形式で書いていましたが、それも
今回までです。最後は思い出話です。
「学級崩壊」は今始まった事では無いです。
教師が悪い、親が悪い、などと責任のなすりつけ合いをし
ても何の問題解決にも成らないと思います。
「教師」が社会的に地位があり、威厳があった時代から
「学級崩壊」の兆候はあったと思います。要するに
あからさまに教師に反抗的な生徒や、授業を妨害する
生徒は昔からいました。「いじめ」「シカト」
「衝動的なキレ」「自己中心的なわがまま」
「幼児的に騒ぐ」などずっと学校現場には有った
事だと思います。思春期は、大人を敵と見なす傾向
にあり、それらは成長過程では必要な「反抗期」です。
要は社会や正論や常識に反感を持つ事で、新たな時代
を築く原動力になり、親離れをし自立心を養うので
一概に「悪い」とは言えません。
じゃ、それをコントロール出来なくなった教師側に
否があるのか?と言うと、そうとも言えません。
保護者が厳しい教育を否定し、何かあると「教育委員会だ」
「文部省だ」と騒ぎ立てるモンスターペアレンツのような
保護者など、学校現場が親の監視下になったがために
教師が生徒に対して強く出れなくなり「学級崩壊」の
連鎖拡大になったと思います。
矛盾し前言否定的になりますが、やっぱり「学級崩壊」の
第一原因は教師の資質にあると思います。
強引ながら、僕の小学4年生の頃の話をします。
小学4年生とも成れば、男女を意識しだし、男女間でヨソヨソ
しさが出てきます。男子は女子の前で粋がったり、わざと
好きな子をイジメたり、体育の時間の着替えが恥ずかしかっ
たりと、男として目覚める年頃です。
そんな小学4年の担任は、教師になって1年目か2年目ぐらい
の新米教師でした。
若くて、きれいで、化粧も濃く、口紅もクッキリ付けた、
お水な雰囲気の先生でした。明らかに他の「真面目な大人」と
いった印象とは違う先生でした。
先生である前に、若くて、きれいなお姉さんでした。
化粧や、ヘアスタイルや、服装からして、先生らしく無かったです。
教師としてではなく、女として教団に立っていました。
美人で、セクシーで、女の魅力満載な先生と、僕達生徒はどう
接していいのか分からなかったです。先生らしさが無い、お姉さん
が先生ぶってる感じで、徐々にクラスは乱れはじめました。
先生の話を聞かなくなり、授業中にお喋りを止めず、先生は
「静かにしなさい」と注意しても、教室が静まる事は無かった。
そして、先生は、授業放棄で泣きながら職員室に帰る事が度々
あり、他の教師が凄い剣幕で来てクラスが怒られるという事が繰り
返されました。
他の教師が授業をする時は静かなクラスなのに、美人担任が
授業をすると、クラスは荒れました。
僕は物静かな人間性なので、騒いでいるクラスメイトを横目に
見ている程度でしたが、騒いでいる連中は教師を試している
ような感じでした。こうやったら、どう返ってくるのかを試して
いるようで、結果「この人は先生に向いてないよ」と結論づけた
のか、荒れ方はエスカレートしていきました。
いわゆる「学級崩壊」です。生徒が教師を舐めきった「教師いじめ」
の図式が形成されました。
教師と生徒の師弟関係や信頼関係が崩壊し、問題児達が暴走しました。
そして、担任の先生は度々体調不良を理由に、学校を休むように成り
ました。
この担任の先生は、子供に逆らわれた際の対処法を持ち合わせて
いなく、子供の反乱から逃げました。
担任の先生が休みがちに成ったのは、多分、僕達生徒に原因が
あったと思います。僕の想像ですが、自分の無力感を痛感し、
自分を責め、自信を失ったのでしょう。
だから、教師と言うのは「鋼の精神力」がなければ勤まらない
仕事です。そういう意味で、あの美人の担任の先生は、繊細
すぎたゆえ、教師の資質不足だったと思います。
クラスが騒いだら、原因究明、改善対策、対話など、やる事
はいくらでもあったのに、あの担任の先生は問題から逃げた
だけで、子供の見本に成る様な大人らしい対処を出来ません
でした。
子供でも、とことん心を通わすように話し合えば分かって
くれると思います。学習内容より、善悪、しつけ、モラル、
礼儀などの方がずっと重要な課題です。教育の原点は
「社会で生きていける人間育成」だと思います。
だから「子供が騒いで授業にならない」とか嘆いている
教師は、教師失格だと思います。その騒いでいるクラスを
鎮圧化し、生徒の事を充分に理解し、生徒に影響を与える
のが教師の務めです。
昔は教師の体罰が横行していたので、暴力で生徒を押さえ
つけ、悪いことをした者には罰を与える事で「学級崩壊」
を抑えていたと思います。保護者も、学校の事は先生に
任せていたので、問題化する事はありませんでした。
でも、僕はいかなる場合も大人が子供に暴力を振るう行為
は駄目だと思っている派で、最終手段だと思っているので
「体罰禁止」の流れはいいと思っています。
今は体罰は全面禁止で、体罰で懲戒免職にも成りえます。
だから、より教師の資質が求められています。暴力や
怖さで、服従させるのは簡単ですが、そんなのでは
生徒との信頼関係なんて築けないと思います。
教師の一言は人生を左右する程の影響力を持つべきです。
だから、教職員は、授業が上手いとかの基本技術以外に
人間として優れているべきなのです。だから、教師は
選ばれし人のみ成れる特殊なポジションであるべきだと
思います。今後の日本を作っていく人材育成の発端なの
だから・・・。