鹿屋郷の麓集落は城山(鹿屋城)の麓一帯に形成され、古前城町と打馬地区がそれにあたる(S42年発行鹿屋市史)。
打馬地区を訪れてみました
打馬地区に残る武家門。左右の袖壁の上に小屋根付き。保存状態は良い
同じ通り沿いに建つ別の武家門
通りの風景。古前城町と異なり、4~5段の石垣の上に生垣が続く
生垣があると薩摩の麓らしい趣がする
鹿屋郷の麓集落は城山(鹿屋城)の麓一帯に形成され、古前城町と打馬地区がそれにあたる(S42年発行鹿屋市史)。
打馬地区を訪れてみました
打馬地区に残る武家門。左右の袖壁の上に小屋根付き。保存状態は良い
同じ通り沿いに建つ別の武家門
通りの風景。古前城町と異なり、4~5段の石垣の上に生垣が続く
生垣があると薩摩の麓らしい趣がする
鹿屋市街を流れる肝属川をはさんで城山公園(鹿屋城)と反対の丘陵地に古前城町地区がある
右の建物がリナシティかのや。旧市役所跡地(イベント広場)が地頭仮屋跡
橋を渡り坂道を登ると古前城町地区に入る
今日は小雨。モノクロにしてみた。
鹿屋市郷土誌によると古前城町は打馬地区と共に鹿屋郷の麓地区であり馬場に沿って上級郷士の広い屋敷が並んでいた。
馬場沿いに現存する武家門は一棟。高い石垣のためか馬場に生垣が見られない
広い真っ直ぐな馬場を期待していたが、車1台が通れるくらいの狭い道であった
門は新しい。以前は武家門が建っていたのではないだろうか
通りに沿って高い石垣が並ぶ。ここの石垣は数えると9段+2段。優に2メートルを超える
古前城町地区は丘陵になっているので、斜面を崩して道路と敷地を造成したのかも知れない
上の通りを曲がったところ。こちらにも高い石垣が続く
上の通りの左側の石垣の途中に武家門が残る。敷地内は現在駐車場として使われている
雨足が一時強くなった
上の通りの右側の屋敷
上の路地を下る方向に眺める
左側は崖下。路地を手前に下ると商店街への入口に出る
(訪問メモ)
今度は天気のいい日に訪れたい。雨の日とは印象が変わるかもしれない。