国分小学校前の犬追馬場。綺麗に整備された
旧国分市は中学3年から高校3年までの4年間、暮らした街
県立国分高等学校。武家屋敷風の塀が新設された。校舎は昔のまま
国分高校から国分小学校にかけての敷地に地頭仮屋が設けられた
国分小学校。舞鶴城跡
島津義久が城を新設し富隈城(旧隼人町)から移り住んだ
国分中央2丁目から4丁目にかけて武家門がいくつか残っています
国分中央2丁目。東馬場通り。竹垣も少なくなりました
国分中央2丁目。中之馬場。通りから一歩入った敷地内に武家門が建っている
国分中央4丁目
国分中央4丁目。石垣と生垣の組合せは少ない
国分麓は石垣や石柱が比較的残り、当時の麓の面影を知ることができる(続く)。