赤尾木城跡(榕城小学校)。島主、種子島家の居城。
西之表麓は赤尾木城を中心としてその周辺に形成されました。
種子島家の史跡とともに麓の名残が今も残っています。
左右の石垣は南の島らしくサンゴが積んである。
榕城小学校の角から犬の馬場と呼ばれる広い馬場が真っ直ぐ延びる。
犬の馬場は郷士たちの乗馬の稽古場で錬兵場でもある。
犬を放して弓を射たことにより名がついたという。
犬の馬場の脇から延びる小路。樹木がうっそうと茂っている。切り通しになっている。
種子島に由緒のあるお宅のようだ。
麓らしく竹垣にイヌマキがみられる
榕城中学校跡は内城と呼ばれ、その後種子島家の居城は上之城(榕城小学校)に移った。
根占戦争とは大隅半島の祢寝氏との間で起こったいくさ。屋久島が祢寝氏に一時領有されたとある。
右は赤尾木城跡の土塁で左は榕城中学校跡。
突き当たりに石敢当が残る。
樹木の小路と呼ばれた通りを進む.
武家門が残っていた。思わずおおっと声が出る。
個人宅にしては随分大掛かりな工事である。鉄砲館で尋ねると市の施設として4月にオープンする予定とのこと。
種子島家の家臣の屋敷で島主の種子島家も一時居住していた。
屋敷周りにはサンゴの石垣が残っている。
訪問日:3月18日
(続く)
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