旧田代町は大隅半島の南部中央に位置する。田代麓交差点付近が町の中心のようです
田代小学校。奥は田代麓交差点
田代小学校正門
田代小学校近くの国道沿いに立派な武家門や石柱の門が建っている
いぬまきの枝を石柱の上に架け渡した形の門
国道から脇道に入ってみました。奥に石垣が見える
ここにも立派な武家門がありました
国道沿いの武家門と意匠的に非常によく似ている
麓交差点の向こう側へ移動しました
石垣は道路拡張に併せて後退させ組み直したのでしょう
麓交差点を中心とした道路拡張工事はほぼ終わったようです
そとは、驟雨です。
薩摩藩の郷士屋敷の武家門は本来、江戸時代は
屋根は藁葺きだったんでしょうね(祁答院住宅や二階堂さんみたいに)。明治大正期に家が瓦葺きへ変わると共に瓦へ変わったようで。(ちなみに我が家は大正2年みたいです)
鹿児島は風雨も強いし温度湿気も強烈ですので、
家はともかく、門を 自然から守るは大変だと思います。各地に残る物をみると
出水、野田に残るものと 知覧等に残る物の2タイプが代表例かと。
近在のものは、知覧に近い様な
棟門の門幅が約4m棟高4m弱入り口幅2m弱
本門の勾配4、5寸位 瓦数片流れ分6~7枚
袖壁瓦 片3枚づつ そで壁の高さ1m位が基本のようで
1対2の比率でモジュールを組んでいる様にも。
図面でも、起こして見なければいけませんね。
県内最古の屋敷はやっぱり祁答院家住宅や二階堂さんちあたりでしょうか。武家門も含めて江戸時代創建のものが県内どのくらい残っているのか行政に調査してもらうと面白いでしょうね。
家格や決まり事もあるのでしょうが、当時のご近所の棟梁がその家の主人の意向を汲んで(自分の意匠的趣味もいれつつ)、門を組み上げたことを想像してみると楽しいですね。