旧根占町は大隅半島の南部、現在の南大隅町の中心に位置する
麓の入口にたつ南蛮船係留の大くす。向こうに見えるのは雄川
根占郷の地頭仮屋は現在の神山小学校。その周辺に麓が形成された
麓地区の風景
根占町立図書館の敷地内に日本庭園が残っている。木々が剪定されたばかりのようだ
枯木の大株に磯長得三翁邸宅門跡記念株の看板がある
磯長得三翁の経歴は興味深い。川北生まれ。薩英戦争の際に辺田(へた)海岸に急造された台場の砲台責任者を任された。上京し、東京府庁に勤めたが退職して民間初の測量会社を設立し、その後郷里に帰り、地元の有志と近郷の名士に書籍館の開設を訴え、創立間もない神山小学校の一室に全国で4番目、九州では1番目という根占書籍館が誕生したという。
大株のそばに建つ仁王像
麓地区の風景
(続く)
口が開いているか閉めてるか
みたいですね
廃仏毀釈の実例ですね。
後ろを見ると 何かかいてあることがよくあります。
寄進 〇〇門〇〇平衛
とか 後ろも見てくださいw
八島さんの実家はお医者さんみたいで
固有名詞をぐぐると 大体わかりますね。
いい時代です。
根占は 西郷さんの ゆかりも多いはずで
私学校徒の 暴発の時も 西郷さんは、根占に
在れたはずで なかなかいかないですよね。
維新以後鹿児島では明治中期位からの様で
鹿児島は鹿児島湾と中小河川で
江戸時代は、海運のネットワークは
結構なもの様で
あるくしかない世では
量もスピードも 格段でしょから。
半島も考えると海運一番はいい次代だったかなと
いろいろとご教授ありがとうございます。
鹿児島には廃仏毀釈の…傷跡というんですか
あちこちあるようで 残念ですね。
海運業は今よりもよっぽどネットワークが発達していて地元経済と密着していたんですね。