内之浦の北方地区に郷士集落の面影が残っていた
志布志と内之浦をむすぶ国道448号の両側に生垣が続く
石柱の門が残る。桃色の花が咲いていた
国道に沿って生垣がつづく。イヌマキとツバキが植えられているようであった
生垣の向こうに石柱の門が見える
国道に沿って生垣がずっと続いているのが分かる
国道の反対側にも生垣がつづく
きれいに刈り込まれた生垣が門から奥に続く
国道から脇道に入ってみた。石垣が続く
高く刈り込まれた生垣
菅原神社
生垣、梅、石垣、旧家。歴史を感じさせてくれる
メジロ(数十羽もいたろうか)が花の蜜を吸っていた
元々は南方にあったが大火があって北方に移転したという
高山と内之浦は、江戸初期は元々 いっしょみたいで
町村合併も 歴史的つながりか、
現の経済的つながりか、
人的つながりか、わかりませんね。
住民サービスはどうなのかな。
私的には 職員救済の面が どうも強いよう
と 思ってしまいます。
内之浦へは国見トンネルができる前はずいぶん遠回りだったらしいですね。もっとも、薩摩半島の野間池あたりへ行くのはもっと大変だったかも知れませんが。
ところで、ご質問ですが、町村合併が職員救済につながるのは何故でしょう。一見すると、町村合併は職員数の削減につながりそうですが・・・
民間で、あればいい方向性ではありませんが仕事量が増えなければ、支出を削る、最終的には、人件費の削減リストラ(首切り)です。
公共体では、そこまでは出来ないでしょう。
ですから 合併して 重複部分の削減 新規採用の抑制で 避けようとしているのではと。
報道によれば、県が 組合と5~6%の臨時カットを合意したようですが(基本給部分のみでしょうが)、市町村の人件費はどうなどでしょうか。全国一律的な部分があり、公務員は大都市では、普通の待遇でしょう。地方では民間に比較して高い 地方で40歳で600万の給与所得者は少ないです。替わりの仕事などありません、引き下げることも、かなりの反発と軋轢を招くでしょう。で
削減ではなく自然減を待つ 現状維持と新規抑制
若い人は少なく 比較高齢高給者が多くなり
非効率はしばらく 継続するのでは。
5~6年すると 高度成長期初期採用の人々が退職するので 解決するかな?
役場自体にいる人は減っていますが 全体は減らない
総人件費は高止まりしているのでは、住民サービスは大規模化すれば、どうしても距離感がよくないでしょうから。住民実感はどうでしょう。
個人的には 一番身近な公共体は3万位がいいのかな
と思っていますが、財政的に きつくなるのもこのぐらいかと 長文 すみません。
なるほど民間はドラスティックですね。大量首切り、子会社に転籍させて給料大幅カット。何でもありです。公務員は正式採用された以上、免職理由がない限り、辞めさせる訳にはいきません。
町村合併して組織はスリム化されても人員は温存され、自然減少を待つ。
どうもありがとうございました。
資料調べをしていてこのブログに出会ったのですが綺麗な写真が一杯あり、見ているとますます鹿児島に行くのが楽しみになっています♪
こんな新参者がコメントしてしまっていいのかどうかかなり悩んだのですが、教えて頂きたい事があり、コメントしてしまいます。申し訳ありません。
私も内之浦のお仮屋跡を見てきたいのですが、場所がわからず悩んでいます。
「旧お仮屋は南方の旧派出所の跡(現在の町営住宅付近)にあったようです」と記載があったので、せめてその場所だけでも見てきたいのですが、地図上でどこにあたるのかもし可能であれば教えていただけないでしょうか?
どうぞ宜しくお願いいたします。
旧仮屋は南方の旧派出所の跡、つまり現在の町営住宅付近にあったということですが、Yahoo!地図上で、内之浦分署、武道館、JAが含まれる区域内を指すのかなとその時は思い、区域内をぐるぐる回ってみました。が、結局それらしきものは分かりませんでした。有益情報を提供できず済みません。内之浦支所に直接問い合わせるといいかもですね。
Yahoo!地図を内之浦の南方地区に合わせてリンクしようと思いましたが、上手く表示されませんでした。
satsumakko様でも分かりくいと言う事は私にはかなり難易度が高そうです(-_-;)
教えていただいた情報を元に、内之浦支所に問い合わせて見ます。また支所にて教えていただいた情報はここにコメントさせていただきますね。
大隈半島の麓や仮屋、お城などを漏れなく見て廻ろう♪という欲張り旅行をする予定なので見所は先にチェックしておかなくっちゃ!と資料つくりに精を出しているのですがsatsumakko様のブログは本当に参考になります。また大阪に居ながらでも雰囲気が伝わってくる写真で見てるととっても楽しいです。
これからもどうか是非頑張ってください(^o^)/
お仮屋のあった場所は
国道448号線を内之浦総合支所を通りすぎ、しばらく南に進む→JA内之浦支所がある右手に入る道をまた通りすぎる→その後に出てくる左手に入る道と国道が交差する角の進行方向右前に当たる場所とのことです。
(実際には簡略な地図を記入してくださったのですが、ここに記載するのに私のほうで文章に変換させていただきました)
記載していただいていた通り旧お仮屋は南方の旧派出所の跡であり、今は個人の方がお住まいになられているとのことです。よってその方のご迷惑にならないようにとの事でした。
やはり当時の跡を思わせる石垣は残っていないとのことですが、旅行の際には周囲を散策(もちろん公道上をですが)し、過去の時代に思いを馳せて見たいと思います♪
有難うございました。
左手と右手間違えていました!!
また判りにくいので他の部分も記載しなおします。
正しくは以下の通りです。
国道448号線を内之浦総合支所を通りすぎ、しばらく南に進む→JA内之浦支所がある左手に入る道(横T字)を通りすぎる→その後に出てくる右手に入る道と国道が交差する角(横T字)の進行方向右前(右手に入る道の手前ではなく向こう側と国道に挟まれた部分)に当たる場所です。
書き直して見たものの、やっぱり判りにくい文章で申し訳ありません(>_<)
情報をお寄せ下さりありがとうございます。
手元にある後日のメモ(内之浦町史S41発行)を改めて見ましたら、「郷士は現在の上建・下建の県道筋を中心とする区域に集団をなし、所謂「麓」を形成して住んでいた」とありました。大火により、多くの郷士が北方に移住したようです。町史の当時の地図のメモによると、まさに大阪在住さんのご指摘の区域(Yahoo地図でJAを進み、国道と「下建」の文字のある位置の間の区域)内に「地頭館」が載っていました。メモの存在を忘れていました。地頭館跡の碑が建てられているといいですね。