薩摩川内市の麓地区を訪れました。
五代町の郵便局を左折すると街道だったであろう旧道に入る。しばらく進んでいくと水引麓の中心に着く。
水引麓。現在の宮内町。麓の中心を東西に真っ直ぐ走る馬場が残る。
地頭館之址。奥に見える公民館の看板に宮内麓公民館と名がある
地頭館址に残る石の門柱
地頭館脇の風景。石垣と生垣といぬまき。正面は武内神社
武家門構えの武家屋敷が残っている。
見事に切り揃えられた石垣と武家門。写真の武家門は地区内で唯一確認できたもの
薩摩藩の麓の美しさは自然美と人工美が調和されたところにあると思う
こちらの門柱は傘石がのる
極端に低い石垣の上に笠石が載っている。
かつては高い石垣だったのかそれとも別の取り壊し石垣から笠石をもってきて上に載せたのか。
笠沙の小浦地区で同じような石積みを見たことがある
(訪問記) 宮内町は地頭館址周辺に麓の面影が残る。宮内町から新田神社まで散策すると他にも麓の景観が残っているかも知れない。
屋根の棟に石を載せるのはこんな感じでしょうか?笠沙町の小浦地区で見た屋根です。
http://blog.goo.ne.jp/higashipat2/e/ad398c64df56ae40552afa0ae455af8a
推測ですが 石垣の上の笠木石は、塀の笠木として
はじめから 制作したものと 昔の瓦葺き屋根の棟、袖瓦の代用品として使われていた物の 再利用があると思います。
自宅は 10数年前に 屋根瓦を 亡父が大正初年の瓦を新しい瓦に葺替えたのですが 当時の棟は石(凝灰岩かな?)です。
棟瓦は 制作に緻密性が要求されますし 平瓦に比べて 葺き面積を考えると単位価格も高い為に はるか昔は石だったようです。
裏口の ブロックの上を飾って 第二のお勤めをしてもらってます。