これまで見てきたように葛城氏は、①天皇家と強いつながりを築いたこと、②畿内・瀬戸内海から朝鮮半島への水運・陸運を統率していたこと、③これによる外交を一手に握っていたこと、の3点により5世紀に絶大な勢力を持つに至り、大いに栄えた。それにしてもなぜ天皇家と強いつながりを作ることができたのであろうか。私はこれまで述べてきたことをもとに次のように考えている。神武天皇が東征を果たして大和で即位するまでの苦難の道を支えたのは各地で活躍する隼人系の海洋族たちであった。それが宇佐、安芸、三島、吉備、大伴、紀、尾張、鴨などの一族である。そして大和での即位後、天皇家は葛城の地を拠点にしたことから、この一帯を治める鴨族の貢献は他のどの一族よりも絶大で、第9代の開化天皇まで続く神武王朝は鴨族のお陰で政権を継続できた。葛城氏は4世紀後半頃にその鴨一族から出た氏族であり、紀氏などとの関係を通じて各地の海洋族に対して影響力を持つようになり、5世紀の葛城襲津彦のときに全盛期を迎える。当時の天皇家である応神王朝、とくに安康を除く仁徳から雄略に至る天皇がその葛城氏と協力関係を強化しようとするのは必然であった。その結果、葛城氏から次々と后妃を迎え入れたのだ。その襲津彦の墓が全国18位の規模を誇る葛城最大の前方後円墳である宮山古墳である。竪穴式石室に全体が朱で塗られた長持形石棺が納められ、朝鮮半島からの伝世品と推測される船形陶質土器や高さ1.2メートルの大型家形埴輪などが出土した。また、盗掘にあっているものの刀剣11口、三角縁神獣鏡片・甲冑片・刀剣片、革綴短甲残片などが副葬品として見つかっている。その規模を含めてまさに王の墓と言ってもよさそうである。
ところが、である。この葛城襲津彦はその活躍とは裏腹に書紀にはヘマばかりしている様子が描かれる。先述した話であるが、神功皇后の時に新羅王の使いが人質を取り返しにきたので襲津彦が新羅へ届けることになっていたが、途中の対馬で使いの者たちに騙されて人質を逃がしてしまった。同じく神功皇后の時、新羅討伐のために派遣されたが、美人に目がくらんで新羅ではなく加羅国を攻撃してしまった。応神天皇の時には百済から来日しようとした弓月君一団が新羅に邪魔されて加羅国に留まっているのを助けるために派遣された襲津彦は3年経っても帰国しなかった。仁徳天皇の時には、無礼を働いた百済王族を襲津彦が連行して帰国したが途中で逃がしてしまった。このように、現地に赴いて外交を一手に引き受けていたものの、さしたる成果もなく、むしろ失敗が強調されている。これはどういうことであろうか。
葛城襲津彦に始まる葛城氏は雄略天皇のときに眉輪王(まよわおう)の変をきっかけに滅亡したと言われている。したがって一族の記録や系譜が残されていないため、間接的な資料や伝聞をもとに書かれたものと思われるが、それにしてもこの書かれ方は作為を感じざるを得ない。私は記紀の原資料となった天皇記・国記の時点でこの作為が施されていたと考える。もちろん蘇我氏によるものである。葛城氏は現代においても古代最大の豪族と言われている。時代が下るとはいえ蘇我氏も同様に権力を欲しいままにした豪族であった。しかし、そうであるがゆえに自身の権力を誇示するために葛城氏の経歴は蘇我氏にとっては邪魔であった。蘇我氏を越えるヒーローは不要だったのだ。
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ところが、である。この葛城襲津彦はその活躍とは裏腹に書紀にはヘマばかりしている様子が描かれる。先述した話であるが、神功皇后の時に新羅王の使いが人質を取り返しにきたので襲津彦が新羅へ届けることになっていたが、途中の対馬で使いの者たちに騙されて人質を逃がしてしまった。同じく神功皇后の時、新羅討伐のために派遣されたが、美人に目がくらんで新羅ではなく加羅国を攻撃してしまった。応神天皇の時には百済から来日しようとした弓月君一団が新羅に邪魔されて加羅国に留まっているのを助けるために派遣された襲津彦は3年経っても帰国しなかった。仁徳天皇の時には、無礼を働いた百済王族を襲津彦が連行して帰国したが途中で逃がしてしまった。このように、現地に赴いて外交を一手に引き受けていたものの、さしたる成果もなく、むしろ失敗が強調されている。これはどういうことであろうか。
葛城襲津彦に始まる葛城氏は雄略天皇のときに眉輪王(まよわおう)の変をきっかけに滅亡したと言われている。したがって一族の記録や系譜が残されていないため、間接的な資料や伝聞をもとに書かれたものと思われるが、それにしてもこの書かれ方は作為を感じざるを得ない。私は記紀の原資料となった天皇記・国記の時点でこの作為が施されていたと考える。もちろん蘇我氏によるものである。葛城氏は現代においても古代最大の豪族と言われている。時代が下るとはいえ蘇我氏も同様に権力を欲しいままにした豪族であった。しかし、そうであるがゆえに自身の権力を誇示するために葛城氏の経歴は蘇我氏にとっては邪魔であった。蘇我氏を越えるヒーローは不要だったのだ。
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