吉野葛 :谷崎潤一郎 著 新潮文庫
著者(1886-1965)が1931年に発表した中編。吉野を舞台にしているが、小説としてのしつらえはちょっと変わっている。
作者とおばしき者が、吉野を訪ね、静御前や南北朝時代のさまざまな出来事に由来する場所、事物などを調べていく。どうもいずれは小説の題材にするつもりのようだが、前半詳細に綴られる事象は、古典やさまざまな由来に疎い当方としては、ついていけないところもある。それでもこれはいずれなんらかの展開が出てくるための準備だろうと思って読み進め(?)ていった。
今回の取材旅行、実は作者の学生時代の友人である津村から誘われたものでもあった。津村は天蓋孤独に近いのだが、どうもルーツはこの辺りにあるらしく、それを訪ね確証を得たいということらしい。
昨年読んだ「批評理論入門」で小説における作者の位置と書き方についていろいろ学んでから、作品を読む度にそういう角度から見ていくようななっているが、この作品もなかなかユニークではある。
訪ねていったところからその人の過去や縁が現れてくるというのは能にもあるような気がするが、こっちの方も疎いから何とも言えない。
後半は友人津村のよくわからない亡き母を訪ねる話で、これはなかなか読ませ、後味もいい。
谷崎は女性の描き方がうまいし、よく理解しよりそっているところが感じられる。しかし谷崎がマザコンという感じはない。
ところで、訪ねていった先の地名には葛ともうひとつ国栖(これもくずと読む)があって、文中にこれは葛粉の葛とは別物と書いてある。これは不思議な話で、想像するに国栖が先にあり、川の上流が国栖で下流を葛というらしい。近くで葛が採れることから下流の方は当て字でこうなったのかとも想像する。
京都の和菓子屋、例えば鍵善などの葛きりは多分吉野の葛なのだと思う。一方、もう一つよく知っている産地は宝達(ほうだつ)。金沢から北に行って能登半島のつけねのあたりを少し陸に入ったところで、金沢の「森八」はここの葛である。
著者(1886-1965)が1931年に発表した中編。吉野を舞台にしているが、小説としてのしつらえはちょっと変わっている。
作者とおばしき者が、吉野を訪ね、静御前や南北朝時代のさまざまな出来事に由来する場所、事物などを調べていく。どうもいずれは小説の題材にするつもりのようだが、前半詳細に綴られる事象は、古典やさまざまな由来に疎い当方としては、ついていけないところもある。それでもこれはいずれなんらかの展開が出てくるための準備だろうと思って読み進め(?)ていった。
今回の取材旅行、実は作者の学生時代の友人である津村から誘われたものでもあった。津村は天蓋孤独に近いのだが、どうもルーツはこの辺りにあるらしく、それを訪ね確証を得たいということらしい。
昨年読んだ「批評理論入門」で小説における作者の位置と書き方についていろいろ学んでから、作品を読む度にそういう角度から見ていくようななっているが、この作品もなかなかユニークではある。
訪ねていったところからその人の過去や縁が現れてくるというのは能にもあるような気がするが、こっちの方も疎いから何とも言えない。
後半は友人津村のよくわからない亡き母を訪ねる話で、これはなかなか読ませ、後味もいい。
谷崎は女性の描き方がうまいし、よく理解しよりそっているところが感じられる。しかし谷崎がマザコンという感じはない。
ところで、訪ねていった先の地名には葛ともうひとつ国栖(これもくずと読む)があって、文中にこれは葛粉の葛とは別物と書いてある。これは不思議な話で、想像するに国栖が先にあり、川の上流が国栖で下流を葛というらしい。近くで葛が採れることから下流の方は当て字でこうなったのかとも想像する。
京都の和菓子屋、例えば鍵善などの葛きりは多分吉野の葛なのだと思う。一方、もう一つよく知っている産地は宝達(ほうだつ)。金沢から北に行って能登半島のつけねのあたりを少し陸に入ったところで、金沢の「森八」はここの葛である。