靉光、麻生三郎、糸園和三郎、井上長三郎、大野五郎、鶴岡政男、寺田政明、松本竣介
1943年にこの8人で結成、展覧会を3回開催した新人画会について、集められるだけのものを集め、資料にそって当時のもようを再現しようという展覧会であるから、昭和の洋画が好きなものにとっては見逃せない。
1時間以上電車を乗りつぎ、西高島平から歩いて15分という不便なとところにある美術館にわざわざ出かけたのも、そういうわけであった。
平日だったが、絵が好きそうな年配の人たちがさびしくない程度に来ていて、その中でゆったりと「いい絵」を堪能できた。
「いい絵」というのは、8人の中で靉光、松本竣介は好きになってからかなり経ち、またその回顧展をはじめ、親しんだ絵はかなり多く、また麻生三郎も見たものは少ないとはいえもっと見てみたいと思っていた、そういう事情があって楽しみたいという気持ちから、入れるからである。
1943年だから、当然のことながら軍部との関係に気を使う活動にはなるのだが、そういう中で追従でもなく、明確な抵抗でもなく、それでいて今日まで絵として残ってみると、人の外に出たもののもつ力、見るものがそれに応じて引き出されるもの、その不思議、魅力にあらためて気づかされる。
靉光は、あまり会にかかわったという感じがしないが、それでも彼の静物画の本当に死んでいる対象物、無機的な描写、それらが反対に、失われたものを見るものに喚起する。
松本竣介は、音がしない世界が多いのだが、それがやはりそこから剥ぎ取られた生き生きした世界を見るものの中において、どちらを取るというのでなく、見せる。絵は本当にうまい。
麻生三郎は、見た瞬間に「いい絵だな」と文句なく感じる、というよりほかない。松本竣介に青、緑が多いのに比べ麻生は赤が多い。その使いこなしは日本でも傑出しているのではないか。ほかでは鶴岡政男の才人ぶりが印象的である。
終戦後まもなく没した靉光、松本の他の6人は比較的長く生きた。これは洋画壇にとって幸運だっただろう。
ところで、展覧会後に行方不明になり、今回やっと一般公開されるものが何点かあるようで、そのなかの一つが松本竣介「りんご」(小野画廊 蔵)である。
このりんごをもった子供を描いた小さな絵、どこかで見たはずだが勘違いか、と思っていたが、帰宅後、あることを調べていて偶然わかった。
今回も展示されている松本竣介の「立てる像」はなじみのある大きな絵である一方、この画家を知るきっかけになった洲之内徹「気まぐれ美術館」で、著者がこの画家を好きなこと一方ならぬものがあるのにこの「立てる像」そして「画家の像」などについては、その思想的ともとれる押しつけがましさがきらいであると言っている文章を確かめようとして、本棚から取り出したら、なんとその文庫本カバーの口絵がこれだったのだ。
ただし、これはモノクロで、よく見ると本当に今回見た「りんご」のモノクロ写真か、というと、どうもそのためのデッサンのようにも見える。今調べる手段がないのだが、おそらく画商をやっていた洲之内はこのデッサンを少なくとも一時期は手元に置いていて、その写真をこの本(新潮文庫)のもとの単行本あたりで使ったのではないだろうか。
関係ありそうな絵、展覧会を追いかけているとこういうことがあるからおもしろい。
ところでその「立てる像」であるけれども、今回良く見ると、その画家の着ている今のジーンズ風つなぎ、特にボタンとステッチ、履いているサンダル、そして背景、全て和でないのである。西洋かぶれといってもよい。あの時代に。これに意味があるのかどうか、わからないが。