メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

プッチーニ「トスカ」(英ロイヤル・オペラ)

2012-05-23 11:51:26 | 音楽一般

プッチーニ:歌劇「トスカ」

指揮:アントニオ・パッパーノ、演出:ジョナサン・ケント

アンジェラ・ゲオルギュウ(トスカ)、ヨナス・カウフマン(カヴァラドッシ)、ブリン・ターフェル(スカルピア)

2011年7月14日、17日 ロンドン・コヴェント・ガーデン王立歌劇場、2012年4月 NHK BS放送録画

 

有名なトスカだが、実演を見たことはなく、映像で見たのも多分2回目、1回目がなんだったか覚えていない。こうしてみるとストーリー展開は思いのほかはやく、前半で歌姫トスカと反政府活動にもかかわりがある画家カヴァラドッシ、そしてトスカが持つ疑惑と嫉妬、トスカをなんとかものにしようとしている警視総監スカルピア、役者はそろってさてフィナーレまでどうやって、というところまでいく。そのあとはもうカヴァラドッシはつかまっており、また策略でうまそうな話を持ちかけたスカルピアをトスカが刺殺してしまうのも案外はやい。あとはカヴァラドッシを助けられると思っているトスカと、それを見ているこっち(観客)の微妙なずれを、プッチーニがどう料理するか、である。

 

最後にカヴァラドッシの、例の「星は光りぬ」で決めるところはさすがプッチーニである。ただこのオペラが有名なわりに、他にこれといって動かされるメロディーはない。トスカの「歌に生き恋に生き」も、あのカラスが歌って彼女の人生とかさねてみるせいで有名なのかもしれないが、トスカというキャラクターにこっちがあまり感情移入できないせいもあってか、今回も特に印象はなかった。

 

そこへ行くと、憎いことは憎いが、こういう役があるのかというほど強烈な悪さをまき散らすスカルピア、これはもうけ役で、しかも歌うのがブリン・ターフェルだから、劇場にいた観客はたまらなかっただろう。 

 

ゲオルギュウのトスカは、風貌・表情もぴったりといえばぴったりで、歌唱もミミ(ラ・ボエーム)よりはこっちがあうだろう。かのミレルラ・フレーニと反対(フレーニがトスカを歌ったことがあるかどうかは知らない)。

 

カヴァラドッシを歌うヨナス・カウフマン、今売り出しの人で、ローエングリンやジークムントなどワーグナーで聴いたことはあったが、それらでもどちらかといえばリリックな方だったから、今回のような役がむしろ現在の本領なのかもしれない。今のようにきれいな映像で見る人がふえてくると、この人といい、このところよく見ているフローレス(この人はコメディが多いが)といい、主役テノールには見目がいいこともより要求されるのだろう。


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ボストン美術館展(日本美術の至宝)

2012-05-23 11:05:19 | 美術

ボストン美術館 日本美術の至宝 特別展

東京国立博物館 平成館 2012年3月20日(火)~6月10日(日)

 

ボストン美術館に日本美術の名品が数多く集まっていることは、フェノロサ、ビゲロー、岡倉天心などの文脈で知ってはいたし、おそらくそのうちのいくつかは何かの展覧会のなかで見たことはあったかもしれない。ただこれだけまとめて見ることができたのはもちろん初めてである。

まず仏教美術関連で、快慶の弥勒菩薩立像はあまり大きくない黄金にかがやくもので、保存状態もよく、また表情、姿態がなんとも魅力的である。そして狩野元信「白衣観音図」の見事なバランスと不思議な浮遊感。

 

刀剣と染織も、どれがというようにゆっくり見たわけではないが、これだけ一覧すると圧倒される。

 

吉備大臣入唐絵巻、平治物語絵巻は、その描写力、一部にみられるユーモアなど見事なものだが、これだけの盛況だとそれをちらっと見るくらいしか出来なかった。絵巻だとこれはやむをえない。NHK「日曜美術館」で細部を見たからよしとしよう。

 

そして目玉の尾形光琳「松島図屏風」。想像したより全体は小さいが、想像したより大きく特徴的な「波」の姿、デザイン! 少ない色でべたっと横から描いた島と、上に動かした視点で描いた波、これを近代のキュビズムの先駆けという言い方もあるようだが、これはむしろデザインとしての効果を追求した結果、光琳が出した結論とその大胆な実現だろう。実物を目にした甲斐があった。

 

そしてこれも目玉の一連の曽我蕭白で、この大胆とユーモアが日本のグラフィックアートや漫画の源流というのも、結果として間違ってはいないだろう。巨大な「雲龍図」は屏風からはがされていたものらしく、今回の展示を機に屏風に表装されたものということだが、こうしてみると最近の高度な複製と同じようにも見える。もっともこういうアートは元来そういうもので、これでもいいのかもしれない。

 

実をいうと曽我蕭白は2008年の「対決 巨匠たちの日本美術」(東京国立博物館)で見たのが初めてで、強い印象を受けた。このときの対決相手は伊藤若冲で、かなりの点数もあったのだが、今回若冲は僅かに2点、対決というほどではない。というか、ボストンに多くが集められた時期、まだ若冲は内外ともそれほど知られておらず、その存在に多くの愛好家が気付くのはプライス・コレクションが公開されてからということだろうか。

 


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フィッシャー=ディースカウの死

2012-05-20 17:54:29 | 音楽一般

バリトン歌手のディートリヒ・フィッシャー=ディースカウが86歳で亡くなった。

もう舞台、録音からは遠ざかり、指揮を少しやり教師として後輩の指導にあたる、というようになってかなりになると思う。

1925年生まれで兵役にとられたりして恵まれた音楽教育を受けたとは思われないが、トップレベルの舞台に登場したのは1950年と案外若い時期で、それもかのフルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルとザルツブルグ音楽祭で「マーラーのさすらう若人の歌」という華々しいものであった。その直後にスタジオ録音したこの曲のレコードがいま手元にある。

これほど広いレパートリー、曲数の人はこれまでになかったし、もう今後も出ないだろう。バッハから近・現代の十二音・無調音楽まで、中心はシューベルト、シューマン、ヴォルフとつづくドイツ・リートだけれども、宗教曲、ドイツ以外のオペラも数多い。しかも難曲といわれるものを、正確に歌うことにかけて、この人の右にでるものはなかった。

 

そういうところもあったからか、たとえばシューベルトなどで、知的な面が出すぎで深い心の音楽になっていない、という音楽にうるさいひとたちも日本にはかなりいた。そういう見方も可能だが、わが国の音楽受容の極端な一面ともいえるだろう。

 

わたしが最初に聴いたのは中学生のころで、シューベルトの「魔王」とシューマンの「二人の擲弾兵」が入った45回転ドーナツ盤を擦り切れるまでかけていた。魔王のストーリーの情景がまさに目の前に現れるようだったし、「二人の擲弾兵」でラ・マルセイエーズのメロディーが出てくると興奮したものである。

 

1963年にベルリン・ドイツ・オペラが初来日したときがディースカウの初来日でもあって、まだオペラになじみのなかった私は、母親に無理をいってこの人のリサイタルだけを聴きに行かせてもらった。これが初めて行った音楽会なるものだったと記憶している。

日生劇場の舞台に出てきたとき、こんなに大きい人かとびっくりした。ピアノ伴奏はイエルク・デームスでオール・シューベルト、「魔王」も歌われ、魔王が子供に「イッヒ・リーベ・ディッヒ」と不気味に歌うところで、ディースカウの青い目が不気味に光ったのを今でもよく覚えている。

 

円熟してからの、といっても強烈なインパクトを受けた歌唱は、マーラーの歌曲をオーケストラとでなくバーンスタインのピアノとやった録音で、中でも「リュッケルトの詩による歌曲集」の「真夜中に」。本当に真夜中に、宇宙にただ一人という孤独感、、、バーンスタインのピアノもすごい! 彼がオーカストラを指揮したマーラーよりすごいと思う。

 

ところで、これだけのスーパーマン的な歌手でありながら、ディースカウは「絶対音感」をもっておらず、また少しタバコを喫った。ちょっとほっとする。


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イヴ・サンローラン (ドキュメンタリー)

2012-05-16 16:50:23 | 映画

イヴ・サンローラン(L'amour Fou、2010仏、103分)

監督:ピエール・トレトン

イヴ・サンローラン(アーカイブ映像)、ピエール・ベルジュ

 

イヴ・サンローラン(1936-2008) が若くしてディオールに見込まれてデビュー、直後のディオール死去で後を継ぎ、フランスファッションの危機を救ってから、彼自身の死去、そしてその膨大な美術コレクションがクリスティーズでオークションにかかるまでを、生涯彼の公私にわたるパートナーだったピエール・ベルジュのモノローグ主体に描いたドキュメンタリー映画である。他に何人かの発言はあるが、通常のナレーションはない。

 

トップになってから極度の緊張と疲労、それが並大抵なものではなかったことが想像される。そういうなかで、そこそこの年齢まで生きながらえて引退したのは、ベルジュとの関係がうまくいっていたことが大きいのだろう。

 

サンローランが集めた美術品、そしてリフレッシュするために訪れた場所、住まい、それらは伝統的なヨーロッパではなく、異国的というか、具体的にはアフリカ、アジアの色彩が多い。それは彼の作品にも反映しているように思われる。

 

この世界の高い水準を維持し続け、その一方でパンタロン・スーツ、またプレタポルテというビジネスで、働く女性、多くの地域の人たちに寄与した、こういう傑出した人を、こういう形で描くのはフランスだけかもしれない。何という自信!

 


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KORIN展(燕子花図)

2012-05-15 22:29:46 | 美術

KORIN展 国宝「燕子花図」とメトロポリタン美術館所蔵「八橋図」

根津美術館 2012年4月21日(土)~5月20日(日)

 

ここが隈研吾の設計で改築された後に「燕子花図」を見るのは初めてである。その前に確か2回くらい見ている。今回いつもとちがって(記憶によれば)1か月とかなり長い間展示されるのは、メトロポリタンから「八橋図」が来ていて並べてみることができるから、特別にということだろう。

よく見ると数年前の印象より少し傷んでいるようにも見える。気のせいならよいが。

メトロポリタンのものは文字どおり橋がかかっていて、「燕子花図」も含めてこれらの画材の由来が理解できるのはよいし、これはこれで、一つ一つの燕子花など、優れたものだけれども、こうして並べてみると、「燕子花図」の突出したデザインがいかに跳びぬけたものか、ということがよくわかる。

特に六曲一双の右側の燕子花群がかなり上に上がっており、対して左側の燕子花群の上に大きな三角形の空間があって、両方とも記憶より偏っているところが、目にしたときの力、バランスを強調する力というかリズムというか、その効果が見事である。

 

そのほかにもいくつか尾形光琳の興味あるものが展示されており、また酒井抱一の「青楓朱楓図屏風」という大きな作品は、抱一にこんなに大胆なデザインがあったかと(銀を多用した驚かされるものはあるが)発見があった。これは個人蔵とかで、どおりで今まで見る機会がなかった。


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