メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ブラック・スワン

2012-05-11 21:41:23 | 映画

ブラック・スワン (Black Swan 、2010米、108分)

監督:ダーレン・アロノフスキー

ナタリー・ポートマン(ニナ)、ヴァンサン・カッセル(トーマス)、ミラ・クニス(リリー)、バーバラ―・ハーシー(エリカ、ニナの母親)、ウィノナ・ライダー(べス)

 

新しい振付の「白鳥の湖」、その白鳥と黒鳥二役での起用オーディションで受かった新人ニナ、しかし潔癖症(特に性的な面で)のニナはなかなか入っていけず、振付師トーマスからかなり激しい扱いを受ける。何とかしようとするが、一方バレエで一流になれなかった母親が常に監視しつきまとい、それをなかなか振り払えない。しかし同僚の誘惑など、無理して試行しているうちに事件が次々に起こり、ニナの幻想も昂じていく。ここのところは映像でもどちらかよくわからない部分が最後まで残る。

 

そう変わったプロットではないのだが、バレエという魅力的な素材の世界で、監督がどうしたいのか、最後までわからない。ハッピーエンドでも、悲劇でもそれはどちらでもいいのだが。

 

こういう題材で、主人公の性格と重なるポートマンが演じるとどうなるか、かなり下品な想像も含めて製作側の魂胆はわかるけど、それが必ずしも成功していないのではないか。同じポートマンでもジュリア・ロバーツとやった「クローサー」(2004)のほうがまだ納得がいく。

 

そしてチャイコフスキーの音楽の使い方と音質もそれほどでないし、バレエに対するカメラももっと魅力的にできたのではないか、と残念である。

 

ナタリー・ポートマン、これでオスカー、よほど運がいい人である。当然とっていい人でも、運がなく、ということは数多ある。もっとも、取れる時に取ってしまうほうが、その後楽にできていいことはいいのだが。

 

他の人たち(俳優)は皆うまくはまっている。


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須田国太郎展

2012-05-09 15:04:17 | 美術

須田国太郎展 (―光と影の命(いのち)― 没後50年に顧みる)

神奈川県立近代美術館 葉山  2012年4月7日(土) ― 5月27日(日)

 

須田国太郎(1891-1961) はこれまで全く知らない洋画家であった。京都中心の活動であったためと、その交友関係も私の知らないところだったのかもしれない。

スペインに留学し、模写したり研究したりしたようだが、その割には精緻な写実という感じではない。ただとりわけ多く描いている風景画の多くが、青や緑を極力抑え赤や褐色がかかっているのは、変な想像だがスペインの土地の印象が残っているのかもしれない。

 

印象に残る絵も、赤と褐色主体の風景の、中でも明るくひらけて光を感じるもの(「アーヴィラ」、「ハッカ」など)である。

 

花は必ず土から生えているものを描いていて、切り花は「静物」というちがうカテゴリーだというのは、なるほどと考えさせられる。


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ドニゼッティ「連隊の娘」(メトロポリタン)

2012-05-08 22:36:46 | 音楽一般

ドニゼッティ:歌劇「連隊の娘」

指揮:マルコ・アルミリアート、演出:ロラン・ペリー

ナタリー・デセイ(マリー)、ファン・ディエゴ・フローレス(トニオ)、フェリシティ・バーマー(ベルケンフィールド公爵夫人)、アレッサンドロ・コルベッリ(シェルピス)

2008年4月26日メトロポリタン歌劇場、 2012年4月WOWOW放送録画

 

ドニゼッティ(1797-1848) が1839年に作曲したフランス語のコメディ・オペラ。スイスに居るあるフランス連隊に幼児のころ拾われた娘(マリー)がいて、洗濯など雑用をしており隊のマスコットともなっている。たまたま出会った男(トニオ)と互いに一目ぼれになるが、隊の軍曹シェルピスは隊のもの以外と結婚させないと反対する。そこへ、マリーが実はわけあって捨てられた貴族の娘だという公爵夫人が現れ、彼女を連れ去ってしまう。そしてパリで、マイ・フェア・レディのイライザさながらの教育訓練を受け、貴族との結婚話が持ち上がり、彼女は悲嘆にくれるのだが、そこへ、、、というよくあるパターンの話である。

 

ところが、予想以上というか、私が知らなかったのだが、「ランメルモールのルチア」や「ドン・パスクワーレ」を見てみればわかるように、ドニゼッティは極めて充実したそして耳に心地よい音楽を紡ぎだす人で、それはこの作品でも例外ではない。そして、この比較的短い作品は傑作である。もちろんこの上演の出来もあるのだが。 

 

マリー役のナタリー・デセイはルチアの狂乱の場もすごかったが、ここでは少年のような容貌でコミカルな動き、セリフと演技、それでいて歌も表現の幅があって素晴らしい。彼女がフランス人であることも効いている。

そしてフローレスが演じるトニオ、この役のハイCであのパヴァロッティが一躍スターになったということだけれども、フローレスはこれをクリアし、インタビューではアドリブでさらに高いDフラットもいれたとのこと。この人、姿もいいし、朗らかで、これは例の「オリー伯爵」の3年前だが、ここでの実績で起用されたのかもしれない。

 

父親代わりシェルピス役のアレッサンドロ・コルベッリも達者で楽しい。

 

また、パリの公爵夫人邸で、小間使達が掃除などの仕事をする時の動きが、バレエの基本練習のパターンになっているのが笑える。 

 

この楽しさに気づくと、アメリカのミュージカルにはドニゼッティなどのこの種の作品が影響を与えているのでは、と思えてくる。これまではウィーンのオペレッタが原型かと思っていたが、そればかりではなさそうだ。


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ロッシーニ「オリー伯爵」(メトロポリタン)

2012-05-05 11:30:47 | 音楽一般

ロッシーニ:歌劇「オリー伯爵」

指揮:マウリッツィオ・ベニーニ、演出:バートレット・シャー、衣装:カトリーヌ・ズーバー

ファン・ディエゴ・フローレス(オリー伯爵)、ディアナ・ダムラウ(女伯爵アデル)、ジョイス・ディドナート(小姓イゾリエ)

2011年4月9日 メトロポリタン歌劇場、2012年4月WOWOW放送録画

 

初めて見るもの。メトロポリタンでも初だとか。ロッシーニ(1792-1868)が最後のオペラ「ウィリアム・テル」(1829)の前年に書いたというから、すでに200年近く前の作品になる。

 

筋はかなり破天荒、手を抜いた芝居脚本のようなもので、十字軍に男たちが皆いってしまったところにいる女伯爵アデル、そこへ女たらしのオリー伯爵が身分を偽って入ってくるが、実はアデルに恋しているオリーの小姓イゾリエも来ていて、二人はお互いを怪しみながら知らぬふりをする。オリーは最初失敗するが懲りずに今度は男たちが変装した修道女の団体として入り込んで、、、という、まあ細かいところは気にしないで見るほうがいいコメディ。

 

演出もそれを考えてか、舞台の上に舞台をつくり、観客はいいかげんな作りの劇中劇を楽しむという趣向にしている。結論からいうと、音楽的によくできた上演なら、これは余計なお世話といえるかもしれない。

 

見どころ聴きどころは、フランス語で主役三人が延々と続けるベルカントの競演。特にオリー役のフローレスは今いちばん期待されている人気テノールだそうで、なるほどこれだけ声を聴いているだけで快感という歌手はあまりない。ほかの二人もよくて、三人がからんでくんずほぐれつのラブシーンを演じながら歌う三重唱は、心地よく、また大いに笑える。

 

もう一つ、衣装は劇中劇ということもあってあまり時代考証にとらわれず(?)作ったそうだが、形、色、登場人物相互の色の対照など、評判どおり素晴らしい。

 

ロッシーニのオペラはこの30年くらいの間に、「セヴィリアの理髪師」、「ウィリアム・テル」以外の多くの作品が上演されるようになった。これはオペラを声楽を気楽に楽しむ風潮からか。

 

「オリー伯爵」は少し前に作られた「ランスへの旅」から流用されたメロディーが多いらしい。「ランスへの旅」の名前は以前から知っていたがまだ聴いていない。この種のものは映像とともにでないと楽しめないだろうから、こっちもMETでやってくれることを期待しよう。


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