日本ヨーガ学会

ヨーガ的生活

悲嘆のプロセス

2020年02月19日 22時43分59秒 | 思うがままに

 暖かい日でした。

夫が亡くなってから7ヶ月過ぎたのに、波のように襲ってくる寂寥感と不安感。

 

まだまだ以前の私を取り戻していないのに、日々の仕事はちゃんとこなせている不思議。

 

昨日は築地本願寺のKOKOROアカデミー「大切な人を失ったあとに ~悲嘆の理解とケア~」を受講してきました。

 

夫も私もお墓は築地本願寺です。

会員になっているのでいろいろな講義が受けられます。粋なお取り計らいです。

 

さて、大切な人、物、場所を失ったとき、人はさまざまな感情を抱きます。さらに付随して起こるさまざまな喪失もあります。

 

たとえば今までの行動や楽しみ、思い描いていたこれからの人生

経済的な見通しもあるかもしれません。仕事や人間関係も

 

思い通りにいかないことや今までとは違うことに狼狽えます。

 

ボウルビイという精神科医がこう言いました。

 

【愛する人を失うということは人間におそいかかるもっとも悲惨な経験の一つである。それは単に苦痛に満ちた経験であるのみならず、それを救済することに関して、われわれはあまりにも無力であるために、それを目撃することも苦痛なことである。失われた人間が取り戻されない限り、残された者を真に慰め得るものは何一つ存在しない。その空白を埋めない限り、どのような対策も単に感情を傷つけるだけに終わるかもしれない】

 

つまり誰の言葉でも慰められないということです。

 

時間が解決する

逝くべきときだった

亡くなった人は幸せな世界に行った

 

などなど

 

そうには違いないのだけれど当事者は悲嘆に向き合っている最中で、その苦しみに圧倒されているのです。

多分まわりの人々もどう向き合ってあげたら良いか戸惑うことでしょう。

 

しかし、こればかりはどうにもなりません。一番良い方法は寄り添ってあげること。

たとえばお食事に呼び出してあげることなど

 

昨年、やはりご主人を亡くされ今悲しみの真っ只中にいる方がいます。

 

今の私だから伝えることができます。

悲嘆のプロセスはどうしても通らなくてはならない道だと

ノーマルなものなら自分の取り組み方次第でうまく乗り越えることができるでしょう。しかし、病的なものならば、カウンセリングや治療の対象になるでしょう。

 

悲嘆の只中にいる時は先が見えないし、これを通り抜けることかできるのかと不安に駆られます。

 

今、自分がいる位置を知ることが大事ですね。

 

どうやら私は悲嘆のプロセスを順調に進んでいるようです。だからいたってノーマル。

 

少しずつまたお話しさせていただきます。

 

まだ帰宅途中です。おやすみなさい。

 

 

 

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