コロナウイルスが蔓延しています。お気をつけて…と言いたいところですが防ぎようもないです。
北海道は道新カルチャーが休講を決め、東京は青山NHKが休講に踏み切りました。
映画さながらの事態です。
夫が生きていたら家中、除菌!除菌!でしょう。(笑)
夫の主治医だった山田陽介先生の夢を見ました。
穏やかなお顔に癒され久しぶりにスッキリと目覚めました。
コロナウイルスが蔓延しています。お気をつけて…と言いたいところですが防ぎようもないです。
北海道は道新カルチャーが休講を決め、東京は青山NHKが休講に踏み切りました。
映画さながらの事態です。
夫が生きていたら家中、除菌!除菌!でしょう。(笑)
夫の主治医だった山田陽介先生の夢を見ました。
穏やかなお顔に癒され久しぶりにスッキリと目覚めました。
でんでんむしのなかしみというお話があります。
上皇后様が、ご紹介されたので有名になりました。
美智子様はこうおっしゃいました。
「この話は、何度となく、思いがけないときに私の記憶に蘇ってきました。殻一杯になる程の悲しみということと、ある日突然そのことに気づき、もう生きていけないと思ったでんでん虫の不安とが、私の記憶に刻み込まれていたのでしょう。生きてゆくということは、楽なことではないのだという何とはない不安を感じることもありました。それでも、私は、この話が決して嫌いではありませんでした。」と。
【いっぴきの でんでんむしが ありました。
ある ひ、その でんでんむしは、たいへんな ことに きが つきました。
「わたしは いままで、うっかりして いたけれど、わたしの せなかの からの なかには、かなしみが いっぱい つまって いるではないか。」
この かなしみは、どう したら よいでしょう。
でんでんむしは、おともだちの でんでんむしの ところに やっていきました。
「わたしは もう、いきて いられません。」
と、その でんでんむしは、おともだちに いいました。
「なんですか。」
と、おともだちの でんでんむしは ききました。
「わたしは、なんと いう、ふしあわせな ものでしょう。わたしの せなかの からの なかには、かなしみが、いっぱい つまって いるのです。」
と、はじめの でんでんむしが、はなしました。
すると、おともだちの でんでんむしは いいました。
「あなたばかりでは ありません。わたしの せなかにも、かなしみは いっぱいです。」
それじゃ しかたないと おもって、はじめの でんでんむしは、べつの おともだちの ところへ いきました。
すると、その おともだちも いいました。
「あなたばかりじゃ ありません。わたしの せなかにも、かなしみはいっぱいです。
そこで、はじめの でんでんむしは、また べつの、おともだちの ところへ いきました。
こうして、おともだちを じゅんじゅんに たずねて いきましたが、どの ともだちも、おなじ ことを いうので ありました。
とうとう、はじめの でんでんむしは、きが つきました。
「かなしみは、だれでも もって いるのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは、わたしの かなしみを、こらえて いかなきゃ ならない。」
そして、この でんでんむしは、もう、なげくのを やめたので あります】『でんでん虫の悲しみ』新美南吉
死別は、たとえようのないくらい苦しいものです。
しかし、私はたくさんの手記を読みました。
そのうち「苦しいのは、あなたばかりじゃありません。私の背中にも悲しみはいっぱいです」という声が聞こえました。
このでんでん虫の悲しみの最後にあります。
「このでんでんむしは、もう、なげくのを やめたので あります」と。
でも、もう少しだけ嘆かせてください。
あきらめの境地に至るまで…。
あきらめとは、人間の力ではどうにもならないことがあるという事実を心底から認めること。
悲嘆の癒しには4つあるそうです。
大切な人は逝ってしまい、戻ることはないという事実を認めること。
悲嘆反応を正面から体験すること
失ったものに気づき、大切な人がいない環境に慣れること
心の中に、亡くなった人の場所を確保し、変化した自分を受け入れること。
以前と同じような生活はあるはずがないのですからそれを認めたときに「あきらめ」がやってくるんですね。