喪失は人生でもっとも難しいレッスンだと言われています。
しかし、悪のない善はなく、影のない光がないように、喪失体験のない成長があり得ないことは確かだと思います。
愛する対象をもった経験がないことと、一度はそれをもち、失う経験をしたこととは、比べものにならないほど大きな違いがある…とものの本に書いてありました。喪失の痛手に苦しんでいればいるほど、それは、それだけ豊かに人生の祝福をうけていた証拠です。
いろいろな喪失があるでしょう。
両親、兄弟姉妹、夫、妻、子ども…
とりわけ伴侶の死別ほど身に堪えることはありません。
ましてや平均寿命まで程遠い年齢だとなおさらです。
しかし、若くして死にゆく人には使命があるそうです。
遺された家族に「死別の悲しみを乗り越えて強く生きよ!」と教える大切な使命。一昨日、夫の一周忌の法要を済ませました。さすがに「どうして参加者の中に主人がいないの?」とは思いませんでした。少しづつ受け入れはじめています。というより正確に言えば、彼の気配を感じ、姿こそ見えませんがいつも一緒にいる実感がもてるようになりました。それもつい数日前です。
私の大事なお仲間、川瀬洋子さんが亡くなりました。
8年前にガンを発症してからも本当に明るく前向きに病と共生してきました。
しかし、憎きガンは無情にも骨に転移し、肝臓を蝕んでいきました。夫と同じです。
私が円形脱毛症で多発性と言われたものだから早速ウィッグを被ってブログに載せたところ、「先生、ウィッグとてもお似合いですね」とLINEが来たのが6月22日。
夫と同じような経過をたどりながら同じように最後まで投げやりにならず、立派でした。夫を尊敬すると同じように尊敬します。
可憐で清潔感があり、どこまでも真摯な洋子さん、きっと数年前に亡くなったお母さまが迎えてくだっさったでしょう。
まだ50歳にはなっていなかったと思います。若すぎる死ではありますが彼女には悲壮感がありません。
しかし、残されたご主人さまはこれから私と同じような喪失の悲しみを乗り越えて行かなくてはなりません。
これがツライツライ試練なのです。
ご冥福をお祈りします…の言葉はやめておきます。なぜならば洋子さんは間違いなく素晴らしい世界に旅立ったのですから…。