日本ヨーガ学会

ヨーガ的生活

原点に戻ろう

2020年07月28日 01時25分38秒 | 思うがままに

インストラクターを田原豊道先生は案内者(あないじゃ)と名づけました。

 

案内者心得を改めて見ています。

 

ホームヨーガに『ヨーガの四季』は必携であること。

 

案内者は複数交代制が原則です。学生の自己創造を触発するために、多様多種の個性を必要とするからです。

お互いにパートナーと連絡を密にして、日程に万遺漏なきように願います。

 

新聞社、放送局、公共団体、デパート、カルチャー等公的機関から取材や出講、出演の相談があった時は、直ちにご連絡ください。全国等一の確立とカリキュラムの一貫性を図るために慎重に対処する必要があります。

 

これは極々一部です。

 

案内者になると忘れがちになることがあります。

慢心からか「生徒は〈僕の私の〉授業だけを受けたいと言っている」と、恥ずかしげもなく言ってくる時です。

 

田原先生がなぜ案内者と呼ばせているのかがわからなくなるのです。ヨーガの案内者は道案内です。ちっとも偉くないんです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懐かしのいわき

2020年07月28日 00時56分48秒 | 思うがままに

不安定なコロナ禍の中、心配していた郡山NHK、いわきNHK、松本NHKは換気の問題をクリアしたようです。

 

どのNHKも思い入れがあります。

 

郡山NHK3ヶ月に一度は行っていました。昼のクラスと夜のクラス。終わったら新幹線で日帰りでした。

 

前橋も、松本も基本的に日帰りでした。

その中でも一番思い入れがあったのはいわきです。

 

私には、いわきに出来るだけ早く案内者(インストラクター)を作る使命がありました。

 

田原先生は半年に一度くらいはきてくださっていました。

 

念願の案内者が誕生し20年以上になります。地元の案内者がホームヨーガを守ってくださり私の自慢でした。

 

水曜日毎月2回、朝5時起きをしてスーパーひたちに乗ります。

朝、昼、夜の3クラスを終えて最終のスーパーひたちで帰ります。帰宅するのはいつも午前様。

 

若かったのですね。

車中で、原稿を書いたりヨーガの四季の編集をしたり、一分一秒無駄にはできませんでした。ほとんど毎日ヨーガ漬けの日でした。よくも乗り越えられたものです。

 

火曜日の夜になると、夫がカレンダーを見ながら言います。

「明日はいわきか。緊張しちゃうな」

 

朝弱い私は夫に起こしてもらっていたのです。

 

田原先生のほかに、私には夫がいなければ今の私は存在しませんし、全国にホームヨーガのお仲間もこんなに広がらなかったでしょう。

 

そのいわきNHKは残念ながらホームヨーガの火が消えるようで、本当に残念です。

 

いわきは一度だけ夫が休暇を取って一緒に行きました。授業の間、彼はホテルで待っていました。翌日小旅行して帰ったことがあります。

 

「キミは毎月2回もあんな大変な思いをしていたんだね。小さい身体でよくがんばりがきく」

 

私の毎日を見て彼は驚いていたのです。流石に出版の時は、「これでは死んでしまう。もうやめて欲しい」と一度だけ言いました。

 

一週間ほとんど寝ない日がありましたから

 

その時からこのコロナが来るまでは変わらぬ忙しさの中にいました。

 

今日は、ふといわきを思いました。

 

郡山も松本も8月から再開です。

 

コロナが収束したら直属クラスに早く行きたいです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする