人の短を言うこと無かれ
己の長を説くこと無かれ
弘法大師
「 人の悪口を言うな 自分の自慢をするな 」
弘法大師の座右の銘としてよく知られた言葉です。
高野山にお参りしたおりとかに、記念品として、
弘法大師の書として、短冊に書いたものを頂きます。
当たり前のことなんですが、
私たちがしていることはその反対のことです。
人の悪口は面白いし、自分の自慢はしたいものです。
祝辞とかでは、よくそのことを感じます。
ご本人のことを褒めるのですが、
そういうご本人にしたのは私ですよ、と言わんばかりに、
自分の自慢話が出てきます。
しかし、逆説的というか、人間の深い所を突いているというか、
ある先生は
『 人の悪口ほど面白いものは無い、
人生の生き甲斐やね !
人の悪口も言えんほど、自分をかばうのか ! 』
とも、おっしゃっておられました。また、
『 明るく、堂々と、悪口を言え ! 』
あの人は絶対に人の悪口をいわない立派な人ですね
一面にはそうです。
しかし、そういう人に限って、自分の悪口を言われると、
青筋を立てて、むきになってとてもご立腹なさるのです。
よくよく考えてみると、
『 悪口 』 ( 人の短所 ) が分かるということは
自分にも同じものがあるからなのです。
自分の持っている煩悩 ( 短所 ) は分からないものです。
反対に、人の煩悩 ( 短所 ) は手に取るように分かります。
『 明るく悪口を言え 』 ということは、
同じものを持っている、( 悪口を言われるような )
お互いさまではないか。
だから、
「 よくぞ私の短所を言い当ててくれてありがとう。 」
と、明るく受け取るべきことなのでしょう。
でも言われると なのですが?
お互いに悪口しか言われないような、
自分であるということを踏まえたうえで、
『 人の短を言うこと無かれ、己の長を説くこと無かれ 』
なのです。
今振り返ると、師匠からは23年間一度も褒められたことはありませんでした。
それは、人間に対する大きな 『 痛み 』 というか
『 悲しみ 』 というか
( 同じものを持っている )
だから、怠けるな、頑張れ!
という、叫びのようにも、今は感じるのです。
己の長を説くこと無かれ
弘法大師
「 人の悪口を言うな 自分の自慢をするな 」
弘法大師の座右の銘としてよく知られた言葉です。
高野山にお参りしたおりとかに、記念品として、
弘法大師の書として、短冊に書いたものを頂きます。
当たり前のことなんですが、
私たちがしていることはその反対のことです。
人の悪口は面白いし、自分の自慢はしたいものです。
祝辞とかでは、よくそのことを感じます。
ご本人のことを褒めるのですが、
そういうご本人にしたのは私ですよ、と言わんばかりに、
自分の自慢話が出てきます。
しかし、逆説的というか、人間の深い所を突いているというか、
ある先生は
『 人の悪口ほど面白いものは無い、
人生の生き甲斐やね !
人の悪口も言えんほど、自分をかばうのか ! 』
とも、おっしゃっておられました。また、
『 明るく、堂々と、悪口を言え ! 』
あの人は絶対に人の悪口をいわない立派な人ですね
一面にはそうです。
しかし、そういう人に限って、自分の悪口を言われると、
青筋を立てて、むきになってとてもご立腹なさるのです。
よくよく考えてみると、
『 悪口 』 ( 人の短所 ) が分かるということは
自分にも同じものがあるからなのです。
自分の持っている煩悩 ( 短所 ) は分からないものです。
反対に、人の煩悩 ( 短所 ) は手に取るように分かります。
『 明るく悪口を言え 』 ということは、
同じものを持っている、( 悪口を言われるような )
お互いさまではないか。
だから、
「 よくぞ私の短所を言い当ててくれてありがとう。 」
と、明るく受け取るべきことなのでしょう。
でも言われると なのですが?
お互いに悪口しか言われないような、
自分であるということを踏まえたうえで、
『 人の短を言うこと無かれ、己の長を説くこと無かれ 』
なのです。
今振り返ると、師匠からは23年間一度も褒められたことはありませんでした。
それは、人間に対する大きな 『 痛み 』 というか
『 悲しみ 』 というか
( 同じものを持っている )
だから、怠けるな、頑張れ!
という、叫びのようにも、今は感じるのです。