『 東寺 行こう 』 という本が届きました。
わざわざのご厚意で、筆者の方から送って頂いたのです。
題を見た時、 「 東寺 行こう 」 … なんか変 !
と思ったのです。
「 東寺へ行こう 」 、とか 「 東寺に行こう 」 と
すべきかな、とおもったのですが、
それでは、直感的に弱い !!
気持ちの上では、
「 東寺 ( ヨシ ) 行こう 」
ということなのでしょうか ??
とてもよくできた … ( 失礼 )
私的にはこういう目線でお寺を見て欲しかった、
ということが書いてあり、とても嬉しく思えたのです。
ただの美術書でもなく、歴史書でもなく、お寺の紹介でもない、
これは書かれた筆者の方がこよなく 『 東寺 』 というお寺を
愛しておられたからこそ書けたのではないかと思います。
だから、随分長いご苦労があったことと思います。
東寺の全ての行事に何回もお参りされたのではないでしょうか。
朝早いお参りもあれば、炎天下のお参り、
そして、何よりも東寺の空気のように、東寺の中にすりこまれるように
一体となって、ジッと観察してこられたのでしょう。
読み進めてみると、
新しい発見がちりばめられています。
「 密教 」 ということを 「 とっておき 」 と置き換えてみると
わかりやすい。 … ( なるほど )
そして、何気ない東寺のお坊さんとの会話の中から、
楽しい話を引き出しておられる。
また面白いのは、写真を一つも使ってなく、
( 正確には両界曼荼羅の一点だけ )
イラストをふんだんに使って、表現しておられます。
それも実に楽しい。
それとなく、この人だな !! という雰囲気が伝わってきます。
東寺にお参りしたとしても、
ある点とある時間にしか接する事が出来ません。
しかし、この本を読んでみると、東寺で過ごしている
全ての時間と空間を感じ取ることができるように思います。
「 へ~ お坊さんたちはこんな風にお参りしいるのか 」
「 こんなことを考えているのか … 」
などなど、今までにない、新しい目線で
「 お寺 」 という存在を見ておられるのが、
嬉しくもあり新鮮に感じられました。
な一冊です。
『 東寺 行こう 』
東京国立博物館
「 空海と密教美術展 」 開催、記念出版 !!
著者 竹内のぶ緒
挿絵 さげさかのりこ
わざわざのご厚意で、筆者の方から送って頂いたのです。
題を見た時、 「 東寺 行こう 」 … なんか変 !
と思ったのです。
「 東寺へ行こう 」 、とか 「 東寺に行こう 」 と
すべきかな、とおもったのですが、
それでは、直感的に弱い !!
気持ちの上では、
「 東寺 ( ヨシ ) 行こう 」
ということなのでしょうか ??
とてもよくできた … ( 失礼 )
私的にはこういう目線でお寺を見て欲しかった、
ということが書いてあり、とても嬉しく思えたのです。
ただの美術書でもなく、歴史書でもなく、お寺の紹介でもない、
これは書かれた筆者の方がこよなく 『 東寺 』 というお寺を
愛しておられたからこそ書けたのではないかと思います。
だから、随分長いご苦労があったことと思います。
東寺の全ての行事に何回もお参りされたのではないでしょうか。
朝早いお参りもあれば、炎天下のお参り、
そして、何よりも東寺の空気のように、東寺の中にすりこまれるように
一体となって、ジッと観察してこられたのでしょう。
読み進めてみると、
新しい発見がちりばめられています。
「 密教 」 ということを 「 とっておき 」 と置き換えてみると
わかりやすい。 … ( なるほど )
そして、何気ない東寺のお坊さんとの会話の中から、
楽しい話を引き出しておられる。
また面白いのは、写真を一つも使ってなく、
( 正確には両界曼荼羅の一点だけ )
イラストをふんだんに使って、表現しておられます。
それも実に楽しい。
それとなく、この人だな !! という雰囲気が伝わってきます。
東寺にお参りしたとしても、
ある点とある時間にしか接する事が出来ません。
しかし、この本を読んでみると、東寺で過ごしている
全ての時間と空間を感じ取ることができるように思います。
「 へ~ お坊さんたちはこんな風にお参りしいるのか 」
「 こんなことを考えているのか … 」
などなど、今までにない、新しい目線で
「 お寺 」 という存在を見ておられるのが、
嬉しくもあり新鮮に感じられました。
な一冊です。
『 東寺 行こう 』
東京国立博物館
「 空海と密教美術展 」 開催、記念出版 !!
著者 竹内のぶ緒
挿絵 さげさかのりこ