本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

フィロソフィー  「 哲学 」

2012-04-14 11:38:07 | 住職の活動日記
 「 フィロソフィー 」 という言葉は 『 哲学 』 と翻訳されています。

フィロソフィーは本来は、「 学ぶことを愛する、知ることを愛する 」 という

意味のようです。

「 哲学 」 というといかにもお堅い感じがします。


 『 哲 』  という言葉、漢和辞典では

    折の転音が音を表し、 からきている。
 
    物事を深くわきまえていることの意。

    あきらか。事理に明らかなこと。


 というような意味があります。


 おもしろいのは、

京セラの稲盛さんは会社の理念といわずに、

「 京セラフィロソフィー 」 といわれています。

また、自動車の 「 ホンダ 」 も

「 ホンダフィロソフィー 」

以前は、フィロソフィーという言葉をネット検索すると

「 シトローエン・フィロソフィー 」 が最初に出てきました。

( フランスの自動車メーカーです )


 私の感じなのですが、

会社の理念というと、固定した名詞のような感じがします。

ところが、フィロソフィーというと、実践概念というか、

「 物づくりをしていく基本姿勢 」 のようなイメージを感じてしまいます。



ですからでしょうか ?

 「 京セラフィロソフィー 」 には

『 六つの精進 』 を掲げておられます。

 1.誰にも負けない努力

 2.謙虚にして驕らず

 3.毎日の反省

 4.生きていることに感謝

 5.善行、利他行を積む

 6.感性的な悩みをしない

仏教でいう 「 六波羅蜜 」 を自分たちの実践目標として

置き換えられたのでしょう。

 
 「 稲盛さん 」 自身も出家しておられます。

家出ではありません。

「 世捨て人 」 か 「 世から捨てられた人 」 か

大事な一点です。

 お坊さんも頑張らないと、「 世の中から捨てられた人 」 に

なってしまいます。

 あえて、真理を求めるために世間の汚れから一旦身を離れる、

という、世を捨てる、ということが大事です。


 ただ、出家して世間から離れても、それだけだったら

無力になってしまいます。力が出てきません !。

そうかといって、、今度は、世間の中に埋没してしまえば、

堕落してしまう。

 「 精神的にして、しかも、強さを持つ。

   精神的、純粋であるけれども弱くならん。

   強いけど、堕落せん。」

というような意味で、稲盛さんは出家されたのだと思います。


 そのようなこだわりもあって、

『 京セラ・フィロソフィー 』 といわれる所以のような気がします。

「 フィロソフィー 」 という言葉も 『 哲学 』 というよりも、

「 知を愛し思索し、それを実践し、身に付けていく 」 というような

意味を込めて、もっといい言葉はなかったのでしょうか。 ??





コメント
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