人間とは
欲に、手足の、
付いた物そかし。
西鶴
今週の言葉は 「 井原西鶴 」 言葉です。
なるほどと ポ~ン と膝を打ちます。
また、西鶴は
「 世に銭ほど面白きものはなし 」
ともいっています。
「 お金をもうけるのは簡単 !!
使い方が難しい !
ほんとうに生きたお金を使えるのは仏様 」
ということを三浦先生から聞いたことがあります。
人間 「 お金の使い方 」 で人生を誤ってしまいます。
だからお金を使うということはとても難しいのです。
お金も 『 銭 』 になれば、金偏に矛が二つ付き、
自分も他人も傷つけてしまいます。
仏教でも 「 欲 」 ということは否定していません。
欲といってもいろいろあるように思いますが、
仏教ではこれを五つに分けて考えます。
「 食欲・性欲・睡眠欲・財産欲・名誉欲 」
前の三つ 「 食欲・性欲・睡眠欲 」 は人間が生きるために
必要な本能的な欲求です。
あとの二つが厄介です。
食べて寝て、という欲求が満たされてくると、
今度はお金が欲しくなってきます。
お金が少し貯まってくると今度は、勲章 ( 名誉 ) です。
人間はなぜ必要以上にモノを欲しがるのでしょう。
仏教では、
「 無始よりこのかた … 」
生まれる前から、ちゃんと煩悩は持っている、と
『 片乳房 握るは 欲のはじめなり 』
という歌もあります。
赤ちゃんといえども、おっぱいを吸いながらもう片方の手は
しっかりと乳房をつかんでいるのです。
また、お葬式が終わって、
『 泣きながら よい方を取る 形見分け 』
という現実があります。
亡くなって悲しい、けれども涙を流しながらも
頭のどこかでは、どっちがいいのかな ?? と
しっかりとそろばんがはじかれている。
仏教では、人間のあり方を見るのに 『 十界 』 という考え方をします。
地獄から始まって、餓鬼・畜生・修羅、そして人間です。
人間より少し上の世界に 『 天 』 というところがあります。
人間が考えた最高の状態、ということです。
しかし、ここはまだ迷いの世界で、
『 天人五衰 』 ということがあって、
自分の境涯に満足しなくなって、衰えていくというのです。
『 五欲 』 ということも、欲しいほしい、といっている間はいいのですが、
それが満たされた、果たしてそれで満足か ??
という、大きな問いが出てきます。
欲望それ自体が間違いなのではなく、
求める方向性が間違っていたのではないか … と、
人間の求める限りない欲望が、文化や経済を発展させていることは事実です。
しかし、人間を利し、人間に便利さを与えるための文化や経済が、
人間を否定し、害を与えて、住みにくい環境を作り出していることも事実です。
迷いから悟りへの接点にいる 『 天 』 、人間を仏にもし、
またアニマル以下にもしてしまう欲望、
そこに 『 天 』 ということの意味する今日的課題もあるように感じます。
だから、天という世界は、
「 人間の終わるところ、ほとけの始まるところ 」
という二面性を持っています。
欲望を持った人間ですが、その欲望が方向を変えて
仏から見直されたときは、その欲望は
人間を讃嘆するものとなってくるでしょう。
ここの点は微妙なところですが、
『 欲望 』 ということは常に考え続けていかなければいけない問題です。
仏さんのことを 「 チャリオット 」 ( 御車 ) ともいいます。
よく煩悩を乗りこなして制御した、ということです。
今の時代だからこそ、考えなくてはいけない問題だと思います。