いつでもどこでも
そのことになりきって
一所懸命に生きる
生きるのは自分
みつを
「 相田みつを 」 さんの言葉です。
簡単そうな言葉ですが、いざ実行するとなると、
なかなかそのようには出来ないものです。
一生懸命ということも 「 一所懸命 」 と
『 所 』 という字を使っておられるところがミソで、
「 いつでも、どこでも 」 ということです。
三浦先生からよく、
『 無住所涅槃 』 ( むじゅうしょねはん ) ということを
よく聞きました。
その場その場でそのものになりきって実践する。
その頃の私は辛いこともあって逃げ出したい気持ちで一杯でした。
掃除をしていると、頭の中は遊ぶことばかり考えてしまい、
いざ、遊びに行くと今度は帰ってからの仕事のことばかり
考えてしまうのです。
こころと身体がバラバラの状態で過ごしていました。
そのことを見透かされて、
「 そのときそのときをそのものになって生きなければ
辛さが増すばかりですよ ! 」
と、教えていただきました。
先生もよく話しておられたのですが、
洛南高校を建てなおす時はもう高校のことしか目に入らなかった。
新幹線が通ったのも気が付かなかったそうです。
しかし、先生には旅行にもよくお供をしましたし、
映画にも連れて行っていただいたりと、
仕事だけの人でもなかったのです。
緩急といいますか、映画のときは映画に没頭して
旅先ではその景色をわき目も振らず眺めると、
そのものになりきっておられました。
「 迷い 」 ということも、
心と身体が別々になっているときのことでしょう。
仕事のときは … あそびたいな~ と考えてしまうし、
遊びになると、どうも仕事のことが気にかかってしまう。
「 無住所涅槃 」 簡単には、
そのときそのときそのものになりきって安んじるということでしょう。
そこには集中力ということがとても大事です。
「 用事を頼むときは忙しい人に頼め 」
ということを聞きました。
忙しい人ほど集中して仕事をしているということで、
暇な人とは心が散乱しているということでしょう。
だから、頼んだことも忘れずに実行してくれるのです。
庭を掃くときはほうきになりきり、
雑巾がけのときは雑巾になりきる。
そうすれば心は 「 軽安 」 になるはずです。
いつでもどこでも そのことになりきって …
簡単そうでも、心に響く言葉でした。