「 よかね~ !! 」
「 おかあさんには もうしわけなかばってん
あぎゃん 亡くなりかたしたかです。」
最近、お参りに行くと、母と同世代の人から
よく聞く言葉です。
「 PPK 」
このごろは英語の3文字がはやります。
「 TPP 」 とか 「 AKB 」 とか 「 CEO 」 … などなど
もっともっとたくさんあります。
「 PPK 」 は単なる語呂合わせ
誰が言い出したかはわかりませんが、
「 ピン ピン コロリ 」
死ぬまで元気で、最後は苦しまずにコロリと亡くなりたい。
たしかに、本人にとってはいいかもしれません。
しかし、遺されたものには辛いものがあります。
なにもしてやれなかったという、悔いが残るのです。
せめて子どもとして看病の一つでも、
付き添って、食べさせたり、飲ませたりと、
そしてお別れの言葉でも言えれば、
それだけでいいのですが …
しかし、 「 死 」 ということは人間の計らいごとなど
お構いなしにやって来ます。
最近届いた雑誌に
「 ピン ピン キラリ とした人生を 」
という見出しをみつけました。
なるほど ですね !
「 ピン ピン コロリ 」 でなく、
「 キラリ 」 という表現はとてもいいですね。
そいえば、母も 「 ピン ピン キラリ 」 とした
人生を送ったのではないか ? と思います。
90の年まで生涯現役で、亡くなるそのときまで、
為すべきことをして、次の計画に向かって、
日々歩み続けておられた。
「 涅槃 」 とは何かが完成して、終わっていくのではなく、
目的に向かって歩みを止めないことが、 進行形のままで
終わっていくことが涅槃のような気がします。
傍から見れば、道半ばかもしれませんが、
それはそれとして完成しているのでしょう。
未完成のままが完成、ということがあると思います。
その日、一日為すべきことを為し終える
その時その時なすべきことを為し終える、ようなことが
人生を完成させていくのでしょう。
時間の長短はあるとは思いますが、
短いは短いなりに精一杯いのちの限りをつくせば、
それはそれで人生として完成しているのです。
一瞬、一瞬
『 ピン ピン キラリ 』
という人生を送りましょう。