本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「だるまさんがころんだ!」

2015-07-22 20:02:34 | 住職の活動日記

「だるまさんがころんだ」

木に向かって立ち、10数える意味で、

こう呼んだのですが、

今は公園で遊ぶ姿もなく

この遊びも無くなってしまったようです。

この数え方にはもう一つ、

「ぼんさんがへをこいた」

というのもありました。

子ども心に嫌な響きでした。

 

案外、意味もあるようで、

昔の坊さんは精進で

うんこも屁もさほど臭くなかった。

たまに盗み食いして

肉とか食べると、便の臭いや

屁の臭いですぐわかったものです。

だから、

「ぼんさんがへをこいた」というのも

精進を破ったな!!

という隠れた意味もあるようです。

 

私も子どもの頃、そのことで

祖父見つかって、

「肉食べたのは誰や!!」

と注意されたものです。

 

「だるまさん、だるまさん、

にらめっこしましょう、

わらったらまけよ、あっぷっぷ」

という、にらめっこの遊びも

最近ではなくなりました。

でも子供にはとても面白いようです。

小さい間だけですけど、

 

「だるまさん」

起き上がりこぼしのだるまさんが

浮かんできますが、

あのギョロッとした目、

そして愛嬌のあるような

ブスットしたような顔つきから

にらめっこや起き上がりこぼしになり

親しまれてきたのでしょう。

 

けれど、「だるま」といえば

「達磨」と書きサンスクリットでは

(Dharuma)です。

法というふうに訳すのですが、

この「だるま」は人の名前のようで

この方が座禅して、

「面壁九年」(めんぺきくねん)

という言葉があるように、

悟りを開くまで壁に向かって

九年間も座り続けた。

それで、手も足も腐ってしまった

そこから、起き上がりこぼしのような

姿が生まれたともいわれています。

可愛らしい姿なのですが

本当は命がけの真理を求めての

修行の姿だったのです。

 

「痔」という文字も

やまいだれに寺と、書きます

だから、座禅して座りすぎて

痔になったところから

やまいだれに寺と書くのかと

思っていましたが、

どうもそうではないようです。

 

西洋では逍遥学派という

こともあるようで、歩くということが

考える、思索する方法だったようです。

ところが、東洋では座る

座禅して瞑想するということが

思索の方法だったようです。

面白いことに聖人の肖像画を

見ると、

東洋と西洋では

大きな違いがあるようです。

弘法大師にしろ伝教大師にしろ

その姿は半眼で静かで

禅定に入っている姿です。

外国の方は

目をパッチリ開け、天の一郭を

にらんでいる。

 

そういうところにも

宗教観の違いがあるようです。

 

「達磨大師」も

だるまさんになったり、

数を読む掛け声になったり

いろんな形で皆さんの中に

しみ込んでいるのは

本望だったかもしれません。

 

 

 

 

コメント
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