本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

お坊さんの結婚

2018-01-12 21:05:50 | 住職の活動日記

つい100年ほど前までは

一部の宗派を除いて

お坊さんは結婚しませんでした。

私を始め今は当たり前のように結婚

ホテルで祝宴まで開いています。

 

私も結婚の時

坊さんが結婚する意味と意義を

明らかにしなさい!

と言われつつ

若さの無分別で結婚してしまい、

今ではやっと意味もわかり

結婚してよかったと

つくづく思っています。

 

明治になると政府の方針で

「今より僧侶の肉食・妻帯・蓄髪

 勝手たるべきこと」

との布告により妻帯が許された

ということです。

一つには神道を国家宗教とするため

仏教の力を排除するという

思惑もあったようです。

 

それよりのちは堂々と結婚する

ということが当たり前になった

ということなのですが、

やはり考えるべき問題も

あるように思います。

今でもタイとかのお坊さんは

結婚はいたしません、

ですから、

他の国の仏教徒から見ると

日本のお坊さんは堕落している

と映るのかもしれません。

 

以前、上海に行った時

通訳の方が日本のお坊さんは

奥さんがいていいですね!

というのです。

何と言い返したらいいものか

一寸考えて、

奥さんと一緒にいると大変よ!

といういと

向こうも一寸考えて、

そう!、中国も女性が大変強い

ここでも奥さんをもらうの大変

と言っていました。

 

あるお祖師様はこのように

述べておられます。

「ひじりで申されずば、め(妻)を

 もうけて申すべし、

 妻をもうけてもうされずば、

 ひじりにて申すべし」

(独身で仏教を聞けなければ

 結婚すればいい、

 結婚して仏教を聞けなければ

 独身で聞けばいい)

と、問題はいかに求道するかと

そのことが一番の問題です。

 

聖書の中にもこういう問題が

若い弟子が結婚したいと申し出る

若いし止めよといえば

そのエネルギーはいらん方向へ行く

勧めても終末は近い

結婚生活は長くは続かないよ

しかし、

信仰生活ができるのであれば

結婚してもよし

でなければ止めた方がいいだろう

というように諭しています。

 

私には厳しく結婚の意味を

問う師匠が、

ある先輩には

結婚しなさいと厳しく言います

自分は学校を再建するのに

全力を注いで

そのことに集中しているが

自分が賭けるものを持たなかったら

それこそ何をしでかすかわからない

 

その時は

一般的な常識で、そうだ!

と思っていたのですが

今この年になって思うことは

結婚とは世間の修行

という一面を持っています。

 

一人の時は好き勝手にできたことが

妻をもらい子供ができると

一つの社会です

そこでは自分の我儘は通りません

自分の我を殺し

みなと共に協力するということが

求められて来ます。

 

自我の対治、

ということになると

これは滝の修行より厳しいかも

しれませんね!

滅私奉公です。

私を殺し家族のために生きる

そのことができて

初めて社会の為ということが

わかって来るようです。

 

十地経でも

「過」ということが出てきます

「あやまち」ということです

結婚生活とは自分のあやまちが

見つかる場所でもあります。

その過ちを見つけて

それを超えていく(出過)

その道程が無限に続いていく

もうこれでいいということはないの

です。

妻の指摘は容赦ありません

誰も指摘しなかったところを

見抜いて突いてきます。

であればこそ、

そこが自分がやっとこさ

人間になれる場所なのです。

 

ただ決められたカリキュラムを

行なっている南方のお坊さん

傍目には崇高で厳しいようですが

意外と楽なのかもしれません!?

 

どちらがどちらとも言えませんが

その境遇に於いて

自分のエゴがいかに潰されるか

そして、

いかに本当の自分が見出せるか

そこが焦点のようです。

 

 

 

 

 

 

 

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