本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

知っているようで知らない鳥羽伏見の戦い

2018-01-22 20:38:34 | 住職の活動日記

昨日、伏見区の総合庁舎で

若林正弘氏による講演があり、

ちょうど、

鳥羽伏見の戦いがあって150年

という節目の年でもあり

講演会と朗読会と盛りだくさん

の企画です。

 

 

この橋が「小枝橋」

ここが鳥羽伏見の戦いの始まりと

いわれて、こういう場面が

取り上げられますが、

事実は、この小枝橋より放たれた

大砲の砲撃が始まりということです

 

 

「伏見京町通りの戦いと新撰組」

町の名主を務めていた河内屋と

近江屋の看板が見えます。

大砲と銃を装備した新撰組

洋装の新撰組副隊長土方歳三が

突撃命令を出しています。

それに対し、

畳を盾の代わりに使う薩摩軍

河内屋の向こう側には会津藩と

長州軍との戦闘も見えます。

 

 

「魚三楼と西郷隆盛」

大きな鍋の前で薩摩兵士に

雑炊を差し出す子供を背負った町人

それを受け取り食べる兵士

その横で立ったまま

おにぎりを頬張っている西郷隆盛

下には炎上する伏見の町が

描かれています。

 

講演では

「魚三楼」(うおさぶろう)の

ご主人の話もあり、

 

 

町は焼けてしまったのに

この店はそのままの姿を留めている

そしてこの格子には

 

 

その時の弾跡が

生々しく残っています。

 

 

魚三楼ももとは讃岐の魚屋

瀬戸内海から淀川を上がり

新鮮な魚を届けたのが始まり

都には新鮮な魚は入らなかった

西京漬けとかが発達したのは

魚を味噌につけて運んだのが

始まりのようです。

この伏見の地は

その当時最大の港町、

要衝の地ということで

秀吉以来栄えたのです。

 

伏見の地は一大市街戦が行われ

南半分は焼け野原になりました。

 

幕府の大政奉還の奏上

朝廷の王政復古の令

朝廷が下した将軍慶喜の辞官、

納地(一切の官職と幕府領の返上)

このことにより

幕府軍は京へ攻め上がった、

これを迎え撃つのが新政府軍

その場所が鳥羽伏見ということです。

 

150年前の出来事を経験した人は

今は現存していない

しかし、当時15歳だった人は

75年後の1943年に90歳

そしてその当時15歳だった人は

今現在90歳

その人たちからは祖父母から

断片的ではあるが

その戦いの模様を聞いている

ということで

ずいぶん昔の出来事のようでも

ありますが、

150年という2代前の話

ほんの少し前の話なのですね。

 

お話を聞いていると

そういう場所が今だ残っていて

そして暮らしているという

歴史の中にいるという凄さ

とても身近な出来事として

とらえられているという

思いをいたしました。

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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