本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「機」の活用形

2018-05-17 19:44:44 | 漢字

テレビのテロップに

「心の機微」という文字が、

ふと、勝手ながら

心に関するのであれば

「機」は「気」の方がいいのでは

と思ったのです。

調べて見るとやはり気ではなく

「機」であると、

なぜこの機を使うのか?

 

本来は機織りの道具

そこから、始動を与える道具となり

ひいて、からくり・きざし・おり

というような意味が出てきた。

からくり仕掛けから「機械」の文字

きざし、事が起こるきっかけ、契機

物事の主要な部分、かなめ、枢機

おり、しおどき、機会。天機という

そして、

こまやか、かすかという意味から

「機微」という言葉が生まれた

ということです。

 

一般的には「機」というと

機械という言葉がまず浮かびます

しかし、

こういう幅広い意味があって

勿論、仏教に関する言葉も

たくさんあり、

重要な内容をもっています。

 

「ご機嫌いかが!」

ということも、気分とか気持ち

というように使いますが、

本来は仏教語で、

人のきらうこと。

そしりきらい不愉快に思うこと

とあります。

また、機縁という

仏に会うチャンスを以ている

ということもあり、

「機」ということは

仏教では大事な言葉になります。

 

「機」も厳密に分けて

①微ー仏の教化によってめざめる

   微かな善をもっている

②関ー仏の教化と私たちの素質が

   相関関係にある

③宜ー仏の教化に宜しきかなう

という、

三つの意味がありようです。

 

簡単には私たちは縁に合えば

仏になるという

可能性をもっているということに

なるのではないでしょうか

辞書にはもっと細かく分けて

丁寧に説明してあります。

 

林先生の話ではないですが

「今でしょう!!」

という、

仏になるチャンスはいつあるんだ

と聞かれれば、

今でしょう。

ということになると思います。

 

三帰依文の最初に

「人身受け難し今既に受く

 仏法聞き難し今すでに聞く

 この身今生に於いて度せずんば

 さらにいずれの生においてか

 この身を度せん」

という言葉があります。

この身今生に於いてというのが

まさに今といことでしょう

死んでから先でもない

今しかないんだという

 

人として生まれたというチャンス

そして仏の教えを聞くチャンス

そういう大切な機会をもって

生れてきたのが

私たちの今ということなのです。

 

という一面と、

覚鑁(かくばん)上人の

『密厳院懺悔発露の文』に

「我等懺悔(さんげ)す

 無始よりこのかた

 忘想に纏われて衆罪を作る」

という一文があるように

私たちの存在を見つめてみると

煩悩だらけの身で、自分勝手で

本当のことを知ろうとしない

そこから、無痴である故に

たくさんの罪を造っている。

 

そういう一面もあるのです。

可能性としては仏になる種を

もっている

その機縁に合うかどうか

ということと、

煩悩熾盛の身であるという

この深い認識もなければ、

ただ単に仏に会えるのだという

簡単な問題でもありません。

 

言い尽くせませんが

「機」ということは

自分にとっても最重要課題

ということでもあります。

 

機織りの道具という「機」が

自分の存在を知るチャンスにもなる

という奥深い意味を持った

言葉のようです。

 

 

 

 

コメント
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