本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

おしゃかさまねはんえ

2020-02-15 17:58:04 | 住職の活動日記

 名も知らぬ 遠き島より

  流れよる 椰子の実一つ

  故郷の岸を 離れて

  汝(なれ)はそも 波に幾月

 

という歌がありますが

柳田国男が愛知県の伊良子岬で

明治31年夏、海岸に流れ着いた

椰子の実を見つけた。

このことを親友だった島崎藤村に

話すと、このことをから

自分が故郷を離れて

漂泊の旅に出ていることと重なり

この詩が生まれたという。

 

ふと思うのは

昔の人は海辺に立ってその水に

手をやりこの海の水は遥か遠い

お釈迦さまの国に通じていると

涙を流したということがあります

 

「遺跡を 洗へる水も 入海の

  石と思へば なつかしき哉」

と、

明恵上人という方は

詠んでおられます

釈尊の遺愛の子と名乗って

おられたということもあって

殊の外お釈迦さまのことを慕って

インドへの旅行も計画されていた

ということですが、

実現することはできず

紀州の鷹島の渚の小石を生涯

身から離さず大事にされた

それほど思慕の念が強かった

ということです。

 

同時代の方で

西行法師も、

「ねがはくは 花のしたにて

  春死なむ

 そのきさらぎの 望月のころ」

という歌を詠んでおられ

河内の弘川寺で、

お釈迦さまと同じ日に亡くなられた

ということです。

 

2月15日は「涅槃会」ネハンエ

お釈迦さまが亡くなられた

涅槃に入られた日です。

 

『ブッダ最後の旅』という本

「大パリニッバーナ経」を

中村元先生が翻訳されたものです

お釈迦さまの言葉として

最後の言葉は何だったのだろう

漢訳経典とはまた違った

生身の言葉のようなニュアンスが

あり、

そうだったのかと、思われる

節があります。

 

自分なりには

最後の旅は阿難と二人旅で

故郷に向かっておられた

と思っていたのですが

そうではなく

かなりたくさんのお弟子さんと

旅されていたようです

 

「アーナンダよ、

 今や私も年老いた。

 年を取り、高齢となった。

 壮年期は過ぎ、晩年に達した。

 私ももう齢八十になった。」

と、

この言葉で

お釈迦さまの年が分かります。

 

「アーナンダよ、

 たとえば老朽化した車が

 革ひもで縛りやっと

 動くことができるように、

 如来の身体も、

 革ひもで縛られやっと何とか

 動いているようなものだ」

 

という言葉が出てきます

そして、

 

「さあ、アーナンダよ。

 わたしのために、

 二本並んだサーラ樹の間に

 頭を北に向けて

 床を用意してくれ。

 アーナンダよ。

 私は疲れた。横になりたい」

 

そうやって、

お釈迦さまは「定」に

入っていかれるのですが、

最後の言葉として

 

「もろもろの事象は

 過ぎ去るものである。

 怠ることなく

 修行を完成させなさい」

 

とおっしゃっています。

この言葉には翻訳の違いで

 

「ぼんやりと放心することなしに

 気をつけて、

 一切のなすべきことを実現せよ」

 

という翻訳もあります

しかし、

要点は二つ

一つは無常をさとること

二つ目は修行に精励すること

この二つに尽きると思います。

 

またこう言う言葉もあります

 

「釈迦如来かくれまして

 二千余年

 如来の遺弟悲泣せよ」

 

と、厳しい言葉です

何もお釈迦様の死を悲しめ

というのではなく

お釈迦さまの弟子といいつつ

何もお釈迦さまの教えを

実践していない自分がいる

そのことを悲しめ

というのでしょう。

 

懈怠(けたい)なく修行せよ

怠ることなく修行せよ

間際の間際まで一瞬たりとも

怠ることはできない

「釈尊の涅槃」

その最後の言葉をかみしめる

ということです。

 

 

 

 

 

 

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