本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

黙食

2021-01-27 17:30:02 | 住職の活動日記

「黙食」

新聞でこういう

言葉を見かけました。

レストランや食堂で

おしゃべりせずに黙って食べる

ということです。

コロナ禍の時代新しい言葉も

生まれてきます。

それに同調するように

ジムとかでは「黙トレ」なる

言葉も出てきました。

 

「黙」という字は

黒と犬という字からできています

犬がそっと襲いかかる、

という意味が原義です

口を閉ざして獲物を狙って

じっと静かにしている

そこから、だまる、ものを言わない

という意味になったのです。

 

よく聞く言葉に「黙祷」があります

また、黙認するということもあり

そこから、

「暗黙知」という言葉もあります

顔の認知や自転車に乗るという行為

具体的に説明してといわれても

なかなか出来ないものです

乗って体で覚えるしか仕方がない

そういうような知識を暗黙知と

いうようです。

 

また、仏教にも

面白い熟語があって

「維摩の一黙、雷の如し」

という、

お釈迦さまの弟子に

維摩居士ユイマコジ

という方がおられて

在家の弟子ですが

仏道についてはなかなかの達人で

会って話せば誰でもばっさりと

きられてしまうという

鋭い意見を持った方です。

 

その方が病気になられた

お釈迦さまが見舞いにって来い

と言われても誰も行こうとしない

当たり前に「どうですか」

と聞こうもんなら

「衆生病むがゆえに我病む」

という具合に

おまえたちがしっかりしないから

私が悩んで病気になったのだと

そこに選ばれたのが

文殊菩薩です

智慧の文殊といわれる方です

色々の問答があり

やはり的確な答えをする文殊菩薩

それで反対に

文殊菩薩が維摩に尋ねたとき

維摩居士は黙って答えなかった

その一黙された様子は

まるで雷が落ちたようだった

ということです。

 

「黙」ということも大切で

「離言の法性」ということが

あります

真理の世界は、言葉を尽くしても

説明することは出来ないし

形でもって表すこともできない

そういう時は「黙」モクするしか

仕方がないということです。

 

安田先生の講義の時も

講義が終わり質問があれば

ということで順番に回ってきます

感想ではなく、何が尋ねたいか

それを言わなくてはなりません

それが一番緊張する時です

最初の頃は質問しても

先生は黙っておられる

たぶんどうでもいいような質問は

答える必要がない

ということでしょう

尋ねた方が赤面してしまいます

その時の「一黙」も

やはり雷のような静けさの中に

説明されるより

黙した一撃の方が堪えます。

 

また、講義の前後

お茶を出すのですが

ただ黙ったまま

先生と私、この静けさが

何時間も経つような

身の引き締まる時間です。

 

案外私たちはどうでもいいような

話をしています

しかし、

このどうでもいい話ができる

ことが大切なのですが

たまには

黙して語らず食事をする

黙して励むということも

いいものではないかと思います。

色々話していると

上手に自分を誤魔化すことも

できるようでし、

また、通じ合ったような

気にもなるものです。

 

 

 

 

 

 

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