本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

解釈学

2021-01-28 17:18:42 | 十地経

仏教では経典というものがあって

今度はそれを解釈する論という

ものがあります。

三蔵というのは

その経と論それに戒律が加わって

経・律・論といい

この三つで膨大な経典を

分けています

この三蔵に通逹した人という

称号で三蔵法師といわれます。

 

『十地経』にも論があって

世親菩薩が著わした『十地経論』

というものがあります。

 

講義では

「この『十地経』は、別に唯識の

学問というわけじゃないけど、

世親はやっぱり瑜伽の論家

ですから、

経典というのは論じゃないけど

経典を解釈するときに、

論で解釈しとるわけです。

経典というものは、

大体いうと、

なんかそこに一貫して流れる

大精神というものに触れることが

経典なんでしょう。

その大きな精神に対する

感動を呼び起こすということが

経典というものの意味だろうと

思いますね。」

 

そこで、

解釈ということも論の中の

一つの大きな事業でしょう。

ということがあって

それに対比するように

西洋の解釈学というものを

引き合いに出しておられます。

 

「解釈学は起源をさかのぼれば

聖書解釈から始まっている。

その元祖はシュライエルマッハー

ですね

神学から独立して、今は

哲学の概念になってなっています

このような経典解釈に、

非常に細かく経文を反省しとる

経典に照らして解釈することに

よって、実は

客観的に経典の真理を明らかに

するというんじゃない、

経典の精神を解釈する

ということによって、

実は自己が解釈されてくる

わけです。」

 

何でもない「解釈」という

こともなかなか深い言葉で、

仏教的には(げしゃく)と読み

辞書には

「経典等の意味を理解し注釈

すること。」

とあります。

それに続けて、

「経論を解釈するには、

通常まず題号や大意を説明し

次で文章を逐次解釈する。」

というように出ています。

 

ですから、

経典はまず最初に結論が出て

います

しれから順次その内容はと

説かれていくのです。

般若心経では

「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時

照見五蘊皆空度一切苦厄」

というところが結論です。

余談ですが、

本を買う時、最初にこの本の

目的が述べてない本は

だめじゃないかと、

先生も仰ってました。

 

しかし、

よく字をみて見ると

どうも気になるのです

解釈の「解」という字は

刀に牛に角が組み合わさった字

何とも物騒な字です

やはり、牛を刀で解体する

というのが成り立ちです。

それから、

「釈」という字は

お釈迦さまの釈という字

ですが、

釆はわけるという意味で

手に種をもってわける

そこから釈は種をこまかく

撒き分けるという意味で

そこから解き明かすという

意味なったようです

しかし、

もっぱらお釈迦さまに関する

言葉が多いようです。

 

まあ、そういう成り立ちの言葉が

解釈という言葉です。

先生の講義もただ一面的に

仏教の講義されるのではなく

西洋哲学やあらゆるものを

駆使しながら解いていかれる

そこに醍醐味があるようで

また問題が自分の問題として

他人事ではないというところに

こちらに響いてくるものが

あります。

 

 

 

 

 

 

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