本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

真理を私有化する

2022-03-03 20:01:53 | 十地経

対治ということが出てきて

その対治にも二つあって

十地経では

第七地が「彼障対治」

   (かのしょうたいじ)

第六地が「楽無作行対治」

ということで出てきます。

 

「楽というのは楽の情や。

楽しむ情でしょう。

真理を人間の感情でとらえる

そういうものが加わってくる

だから無作ということが

悪いことじゃないでしょう。

間違いじゃない。

無作は真理であっても

真理に愛着する。

真理を私有化するね。

それはもう、

 

真理というものを

肯定した形で否定する

ことになる。

真理が嫌いだというなら

まだ話は分かる。

好きだという、

これは障り、

障りにみえない。

好きなんだ。

そうでしょう。

真理に惚れちゃったんだ。

 

惚れたら

賛成したんだから

真理は喜ぶと思うけど、

そうじゃない。

それで真理に背いちゃう。

真理を真理でないものに

しちゃったんだ。

 

つまり真理を妄想に

変えちゃったんだ。

さあ、

そういう障りは普通は

見えんですわ。

見えんものを見出してくる

ということが

精神生活です。

 

何でもないと

思っているんですわ、

普通は、ええ。

そこに

いかに立派なもんでも

それを私のもんだと

いった場合には

それは汚れてしまうんだ。

立派なものでは

なくなるんです。ええ。

そういうものを。

 

だからして

無作というものが、

六地の到達した真理や。

だから

その真理を味わってみる

というと、

いかにも気持ちがいいんだ。

もう求めるべき真理も

ないしさね、

否定すべき妄想もないと、

こういうわけだ。

 

真面目にそこらで

なんか勉強している人間

見ると、

まだそんなところで

うろうろしているのかと

いうもんです。

えらい

ありがたがっているでは

ないかと皮肉を

言い出したくなる。

 

あの、

これは坊さん同士の間にある

在家の人というものはね、

宗教感動というものを

非常に無邪気に表白する。

ええ。

ところが

坊さんになるというと、

まだあんなことを

いっとるちゅうな、

すぐね、すぐ皮肉る。

 

何という腐ったような奴かと

僕はいつも思っとるけどね、

普通ね、

在家の人は純真なんですよ。

ところが坊さん同士は、

つまり商売や。

まだあんなところで

うろうろしている

というような調子で

皮肉にかけて言う

という性癖が、

これは坊さんに皆あるんです

僕は坊さんが

感激したのを見たことがない

こんな長いことおるけど。

どういうもんだろう、

そんな顔を見たことがない。

 

それで、

かえって得たものを失う。

真理を得たけれども、

その得たものも

私すれば失ったと

同じことになる。」

 

なかなか耳に痛い話です

そういえば

坊さん同士の話では

それは聞いた、

あの人も言っていた、と

どんな話でも

万劫の初事、として

受け止めないのです。

どんな話でも

なるほどと、一端受け入れて

話を聞けば

同じ話でもそこから

話しは発展していくものです

 

なんでも、

分かったものとして

聞いてしまえば

それが私有化することに

なるのでしょう。

 

 

 

 

 

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