本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「働くものから見るものへ」

2022-03-13 20:10:12 | 十地経

私の兄はお酒が好きで

いつも

楽しそうに飲んでいました

それを見た三浦先生は

とても気にしておられ

会う度に

「人間は精密機械やから

大事にしないと

大切に使えば長持ちする

お酒は控えなさい」

と言っておられました。

丁度のそのことが

頭に浮かんできたのですが

講義の中で

たぶんこのことじゃないかと

思われるところが

出てきました。

 

「働くものから見るものへ」

これはベーメの言葉です。

ベーメの言葉をやっぱり

西田先生は早いんだね。

「働くものから見るものへ」

ベーメの概念です。

だからして

それによってみれば、

芸術作品というものは

働くことによって見るんです

行動を通して見るんです。

 

で、これはなにも

芸術だけの話ではないと

思うですね。

人間が知るというのは、

これは働くことを通して、

創ることを通して

知るもんじゃないかね。

 

たとえていうと、

人間は機械だと、

精密機械だというけど、

それは人間が精密な機械を

作ることによって

かえって自分の生理構造を

自覚するんだ、機械とね。

なら、

人間は精密機械と見たこと

あるかね。

ないでしょう。

心臓の、心臓でも

こういうような色んな

循環系統の構造でもですね、

こういうようなものを

見たものはおりゃせん。

 

人間が

精密な時計というものを

作ることによって、

その行動を通して、

作った行動を通して

作る自分を自覚するんだ。

作らずして知るという

ことはありゃせん。

 

それなら永久に、

百年そんな経験していても、

それは感情で、

感想で済んでしまう。

認識になりゃせん。

やってみるんだ。

運転してみるんだ、何でも。

手を動かして

人間は知るんです。

製作を通して人間は

認識を得るんだ。」

 

というところです。

人間は精密機械だと、

この言葉よく聞きました。

たぶん、ですが、

洛南高校の自動車科は

こういうことがあって

作られたと思います。

なぜ自動車科を作ったか

「機械は嘘をつかない

そのことを通して

嘘をつかない誤魔化しのない

人間を作るのだ」

ということを三浦先生から

聞いたことがあります。

 

意外と、

ものということを通して

人間の内面に迫る

ということは

驚きです。

やはり職人という人が

案外思想をもっておられます

講義に出てくる

ベーメという人も

ドイツの靴づくり職人です。

刀鍛冶の方とか

名人という方は

立派な思想を持って

おられます。

そういう思想なり理念が

ないと物は作れない

ということでしょう。

 

精密機械で出来ている

私たち

大切に大事に

役目が終わるまで

使いましょう。

 

 

 

 

 

 

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