本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

女が少ないと書いて「ミョウ」

2022-03-24 20:04:31 | 十地経

「妙」ということも

サットsat の訳で薩と書き

不可思議、という意味

絶対でくらべるもののない

ことをいいます。

またこの字は「たえ」と読み

よく女性の名前に使われます

また戒名でも女性の時は

よくこの字を使うのです。

 

「だけど、この普通、

妙ということが安っぽく

取られるのは奇妙なことや

という意味の妙にするから

ですね。

それで安っぽい。

つまり、非合理的なこったと

こういうような意味で

妙という字が安く考えられる

薬なんかに妙薬ありと、

風邪の妙薬という具合に。

頓服なんか、

それで使うんですけど、

妙という字はそれで使わせん

というわけにいかんでしょう

言葉は自由ですから。

だけど非常に深い思想内容を

もっとるんです

妙という字は。」

 

鈴木大拙も仏法というものを

妙という一字に尽くす。

と、あるように本当に

大切な言葉なのです。

 

また、妙というのは

不可思議と訳しますのも

面白いのです。

ふしぎちゃんという言葉も

最近では使われるようですが

 

不可思議というのは

ことばでいうことも

心で思いはかることも

できないこと、とあります

それで、お経の中に

世界と衆生と龍と仏土境界

とを不可思議とする。

また、別の経典では

業と龍と禅と仏の四種境界

を不可思議としています。

どの経典にも龍が入っている

のは不思議なことですが

龍は一滴の水で大雨を降らす

そういうところから

入っているようです。

 

それで、

「西田先生の言葉ですけど

『働くものから見るものへ』

これはベーメの言葉ですけど

先生の本の中に、

その本の序文が書いてある。

東洋的なるもの、

それは西洋の論理は非常に

優れているけれども、

ただ西洋に反駮するという

意味でない。

 

あの、東洋には論理は

なかったかも知らんけども、

その論理という、

何もなかった

というものではない。

非常に東洋には東洋の

深い思想の伝統がある。

それをなんか一つの哲学的に 

その論理というものによって

それをはっきりしてみたい。

こういうのが私の哲学の役目             

だと。

 

こういうことを

言っておられる。

その東洋的なるもの

ということを、

どういうように西田先生は

言っておられるかというと

働くものなくして働く、

見るものなくして見ると。

これは東洋的なんですね。

非常に深いものがある。」

 

そういうことを

西田先生は妙という一字で

表されたのでしょう。

 

「見るものなくして見、

働くものなくして働く

というのが妙ということ。」

そこから

「生まれたるものから

生むものへ」とか

「つくられたるものから

つくるものへ」というような

創作の論理というものが

出てくる。」

 

とこういうように続きます

考えれば

「妙」ということも

簡単そうでも

とても深い内容をもった

ことなのです。

 

 

 

 

 

 

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