本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

薫習(くんじゅう)

2022-04-15 21:01:27 | 住職の活動日記

「薫習」

こういう言葉があります

テレビを見ていたら

「香薫」コウクンという

ソーセージもあるようです

このコマーシャルを見る度

この「薫習」ということが

思い浮かぶのです

 

いつもお世話になっている

松栄堂のお香のお店にも

「薫習館」という

別棟が隣にありました

 

 

お香が登っていくところを

表したモニュメントでしょうか

 

薫ることが習うと書きます

辞書には

「香気を衣服に薫じ付ける

ように、

迷悟の諸法(特に我々の

身・語・意の業即ち行為)が

その勢力を他のものの上に

(特にわれわれの心の上に)

薫付し残し留めること。」

と出ています

 

私たちの行いはすべて

そのまま消えていく

ものではなく

それは心の中に残っていく

ということでしょう

そのことを香りに喩えたのは

実に面白いと思います

見えないけども残っている

 

例えば

「朱に交われば赤くなる」

ということも

そういう環境にいれば

自然とそのようになっていく

良い人の側にいると

自然とその立ち振る舞いが

良くなるし

悪い人の側にいると

自然にその素行も悪さが

身についてくる

ということでしょう

 

よく講義の中では

バラの花にハンカチを被せる

とそのハンカチに

香りが写っている

というような表現で

説明されていました

 

だから、

私たちの日々の行い

口で言うことも心で思う

こともすべて

香が染み込むように

私たちの心の中に

積み重なっている

ということです。

 

縁あって、

孫との勉強会が始めました

何とも難しい

私の場合は祖父に反抗する

という形で

仏教に触れていったように

思います

それが、

爺の話でも聞きてみよう

という心は

何とも嬉しいものです

若い魂に響いてくれれば

と思うのです

分かる分からないを超えて

こういう話しに身を置く

ということが

大事ではないかと思います

それこそ

「薫習」です

素直な時に自然な形で

こういう言葉に触れていく

ことが大事ではないかと

秘かに思っています。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする