本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

仏教でいう「法」ということ

2023-04-13 20:42:01 | 住職の活動日記

「法」ということ

何回も書いているような

同じようなことを書いている

ような気がします

なかなか

私自身分からなのでしょう

どうも、法律ということの

「法」ということが

頭から離れず混乱してしまう

のです

 

仏教では

法ということはダルマ

ダルマを法と訳した、けど

どうも法と訳してしまうと

不十分だったような

それで訳さず「ダルマ」と

それを漢字に当てて「達磨」

と書いたのです

 

この達磨が人の名前になって

達磨さん、と

あの姿は面壁9年と

壁に向かって坐り続けた

その姿が「だるまさん」と

あの赤い姿になったのです

 

昔から、

法ということの定義があって

一つには任持自性ニンジジショウ

もう一つは軌生物解キショウモツゲ

というようにいいます

 

それ自体の本質は変わらず

その姿を保っているという

任持自性

そのように定義するのですが

簡単には

存在するすべてのもの

ということです

 

よく「諸法は縁より起こる」

という時の法は

「任持自性」ということです

すべてのものは縁より

起こっている、

ということです

すべてのもはそれ自体として

あるのではなく

縁によって在るということ

 

私一人を考えても

両親があり、

そのまた両親があり

微妙な縁のつながりです

生きるにしても

ありとあらゆるものの

おかげ、空気にしても

水にしても、食べ物も

どれ一つ欠けても

生きることは出来ません

 

そういう存在している

ありとあらゆるものを

「法」というのです

そういう意味の「法」が

よくでてきます

 

もう一つの

軌生物解ということが

軌範とか法(のり)とか

法則、道理、教理、真理

ということを表します。

しかし

軌生物解ということも

面白い字です

何となく分かるような

辞書にも見出せませんが

軌生、規より生じた

物解、モツゲという読み方も

面白いのですが

物を理解する

 

法という字を解するのに

こういう言葉を

生み出したのでしょう

はっきりとは分かりませんが

ただ、「法」ということは

普通でいう法律とは違った

あらゆる存在も「法」

または「諸法」

という表現をするのです

 

そういうことも頭に入れて

読んでいかなければ

いけないようです。

 

 

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                

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