本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

菩提心が菩提になる

2023-04-25 20:04:47 | 十地経

この菩提ということが

『十地経』を貫いている

課題です

私たちの中にある菩提心が

菩提になっていく

その過程が『十地経』でしょう

 

菩提心といって

どこからか、

よそからもってくる

というものではなく

自分自身の中にあるのです

あるけどわからない

あるけれども

すぐには見つけ出せない

 

しかし、自分というものが

問題になる時

自分とは一体なんだ

本当の自分とは

自分の存在とは

そういう問いが起こったとき

人間は宗教的になっていく

本来の姿に引き戻されていく

のでしょう

そこからの歩みが

『十地経』というものの

構成のようです

 

「菩提心というのは

菩提が成就したのを如来と

いうんです、

如来蔵というんです。

つまり如来の母胎なんだ。

如来性(ニョライショウ)とも

いいます。

 

〔性・ショウ、

本来具えている性質。

衆生の生まれつき、素性

素質ということです〕

 

性という言葉、

それは、阿頼耶識でも

そうですけれども、

蔵しておるといっても

風呂敷に物を包んだように

蔵しているわけじゃない。

だから如来性です。

 

性という字

個性ということをいいますね

一般的な言葉で、

個体に対して個性という

あの場合の性ですね。

如来性、

如来の個性というようなもの

如来の可能性

というようなものを表して

いるわけです。

 

菩提心というものが、

菩提というものを

胎蔵しておると。

菩提を妊娠しておるという

意味ですね。

菩提心が菩提を妊娠しておる

菩提心が菩提になるんです。

 

この『十地経』でも

菩提の転回を述べている

十地というのは。

それは

なかったものを外から加える

わけではない、

本来もっとる菩提心ですね。

菩提心が成長して菩提となる

 

つまり、

成長する一つの宗教心だね

性というと

固定したように考えるけど

成長する本質といいますか

成長する、

そこにはやっぱり運動を

もっとる、

成長していくという。

発展し転回していくという

そういうような

生命力とか生産力とか

いうような意味をもっとる

わけでしょう。」

 

宗教というものも

他を外にみてそれに対して

拝み信仰するという方が

簡単なようにも思います

 

すぐには分からない

自分自身の中にあるという

菩提心

それを求め本当の自分

というものを深めていく

そういう修行の方が

難しいようです

 

菩提という意味には

覚とか智とか道という内容を

持っている言葉です

ハッと頷き、歓喜して

歩み始める

そこに道が出来てくる

というように思います

 

道が見つかればいいようにも

道の上にあるということが

自覚できれば

その道を

一歩一歩歩み続ければ

いいのではないでしょうか

たどり着く着かないよりも

歩みそのものが

大事なように思うのです。

 

 

 

 

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