本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

三大阿僧祇の修行(さんだいあそうぎ)

2023-11-25 18:37:04 | 十地経

時間の問題は難しく

読みながら難儀して

いるのです。

何気なく使う「世界」と

いう言葉も仏教語で、

 

「世」というのは

三世(さんぜ)という

過去・現在・未来の三世

ですから、時間です

生滅しながら変化していく

という、うつりかわり

それが三世にわたっている

「界」は

空間的に限定がある場所

私たちが住んでいる所

ということです

 

インドの人は時間的にも

空間的にも

私たちには考えられない

ほどの感覚を

持っておられるようです

0(ゼロ)の発見もインド

です

そのことが数としてよりも

無という、また空という

思想に発展していきます

 

今読んでいるところでは

一念とか一刹那という

一番短い時間の単位が出て

今度は阿僧祇アソウギという

一番長い単位が

出てきたのです

それも三大阿僧祇と、

 

一、十、百千万と数えて

十進法で

その52乗が阿僧祇

ゼロが52付くわけです

とれだけ、といいたく

なりますが

 

その三大阿僧祇の修行

というのですから

私たちがちょっとやる

百日の修行とか

長くても三年の修行など

修行をやったなどと

言えないものです。

 

「三大阿僧祇の修行と

いうんです、菩薩道を。

十地に入るまでが

一大阿僧祇、

十地に入ってから七地

までが二代阿僧祇、

七地以上十地までが

第三阿僧祇というので、

三大阿僧祇の修行という

ことが

経典に言われている。」

 

と、このようにでてきます

さらに

 

「時というものを押さえて

言えばですね、

念念相続するのであって、

ひとおもい、ひとおもい

の外に時間はない。

一念の外に時間はない。

 

一念の上に

現在とか過去を立てるんだ

現実というと、

一念といったら現在だ。

現在の一念が現在に続いて

くるわけです。

この一念という現在は

二念にわたらんという。

 

こういうような時間ですね

…… 人生というものも

世界というのも、

一生というのも、

一念の外にないんだと、

こんなことがある。

 

だから三大阿僧祇という

けど、

それ一刹那の外に

そういうのがあるわけじゃ

ないと。

『三大阿僧祇、摂一刹那』

という言葉が、

無著ムチャク菩薩の

『摂大乗論』ショウダイジョウロン

の中に出てくる。

無著の摂大乗論の中に

菩薩十地を取り扱って

いるんです。

 

『三大阿僧祇、摂在』

摂(オサ)まるですね。

『摂在一刹那』と

こういってある。

法蔵菩薩の

五劫思惟(ゴコウシユイ)と

いうようなこと言って

みたところで、

一念だ、

信の一念の内面や。

内面的時間や、

こういうような

劫(コウ)だの念だのと

いうのは。

 

普通の朝9時とか、

まあその、何時といった

時というのは、

その朝昼晩とか、

行住坐臥とかいうような、

そういう時は、を、

その念の上に立てる

のでしょうけど… 。」

 

このあと出てきますが

時計的時間と平常時の時間

という

時計で流れていく時間

平常時という時間

クロノスとカイロスと

時間と関係あるような

気がするのですが、

 

まだまだ時間の問題が

続いていくのです。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする