本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

仏教は内観の道

2024-03-11 20:10:47 | 十地経

「一切」ということも

西洋と東洋では見方が違う

ようです

ギリシャでいう一切とは

コスモというか外の世界の

全てを一切と、

ところが仏教では

世界といっても主体性の

中に世界を見ています

 

講義では

 

「そこに大きな世界観が

違うじゃないでしょうか。

外に見た世界と、

内面に開けてきた世界と。

けど中国では内面を見ない

から経済とか法律とかを

考えてきた。

インドは内面の眼を

開いてきた。

瞑想というような。

 

この、定という字も

一番平凡な言葉でいえば

瞑想ということ。

内観というような。

止観というのは内観なんだ

内の眼を開いてくる。

 

外の眼ばっかり開いとった

ものが転じて内の眼を

開いてくる。

 

世界を、宇宙、コスモスを

内から見るというような。

自己の内に世界を

見出してくる。

自己の外に見出す世界は

コスモスですけど。

しかし、

自己の内に

世界を見出してくると。」

 

普段は私たちの眼は

外しか向いていません。

そこで、瞑想とかでは

内に目を向けてという

ことをいいます。

ヨガでも瞑想の時に

眼を自分の内に向けて

静かに観察しましょうと

 

しかし、

このことも分かったようで

分からないものです

内に向けて何を見るのか

という疑問が出てきます

座禅とかでは

「数息観(すそくかん)」

といって

「一つ、二つ、三つ…」と

静かに数をかぞえます。

十までいったら

また一からはじめます。

そうやって雑念を退けて

いくのです

 

数息観のことを

アーナーパーナ・

   スムリティ

といい、念出入息と直訳

します

ですから、まず

息を静かに吐く、すると

たっぷり息が入ってきます

 

しかし、この数息観も

もっと詳しくあって

五停心観

(ごじょうしんかん)

の中の一つです

一番初めには

不浄観というのがあって

肉体の不浄なことを観じて

貪欲を止める

ことから始めていって

最後が数息観になります

 

そのように

内を観るといっても

自分とって一番嫌なものを

見ていくのです

その中で数息観は

呼吸を数えることによって

散乱した心を整える

ということです

 

やはり一番大切なのは

呼吸を調える

ということです

呼吸が浅かったり

早かったりすると

心も乱れていくものです。

 

しかし、

この十地経の講義は

妙なもので

聞いている私たちを

三昧(定)の世界に

引っ張ってくれるのです

お釈迦さまも

説法の時には

聞いている人々を三昧の

世界に入らせたとあります

 

分かるわからないを超えて

そういう定(三昧)の

世界を味わえるという

ところにこの講義の醍醐味

があるようです。

今思うと

ほとんど理解できなかった

ように思いますけど

三昧という世界を体験で

とことが何よりの収穫

だったように思うのです。

 

 

 

 

 

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