本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

腰を落ちつけたら、得たものまで失ってしまう

2024-08-19 18:37:01 | 十地経

第六地が「般若現前地」

般若の智慧が目の前に

現れてくるというのです。

初歓喜地から修行して

初めて空という智慧に

達すると、

これは大きな歓びでしょう

それで、ほっと一服して

しまうといことがある

ようです。

 

「第六地は何というか、

般若という一つの、

般若というところに

とどまったんです。

その般若を超えるんです。

つまり、

根本智というものが

般若ですが、

根本智を超えるんんです。

そこにかえてっ方便が

出てくるんです。

そこにかえって

方便智が出てくるんです。

 

根本智は真実かも

知らんけど、

真実を得たのが六地です

けど、真実を得ても、

真実に腰を落ちつけると、

真実が消えてしまうんです

 

どんないいものでも、

それに腰を落ちつけたら

かえって全部失ってしまう

どんないいものでも、

それをつかんだらですね、

そしたら、

それを全部離すことになる

こういうところに

実践というものの本当の

意味があるんでしょうね。

 

つかまなきゃ

なにもならんけども、

つかまなきゃ腰を落ちつけ

ようがないけども、

つかんだら、

腰を落ちつける場所が

できるんです。

しかし腰を落ちつけたら、

そのつかんだものが

全部消えてしまうんです。

 

こういうところに、

一つの実践、

論理じゃないですね。

道程というものがある。」

 

あるところまで到達すると

腰を落ちつけたくなる

ものですが、

腰を落ちつけると

全部を失ってしまうと。

 

オリンピックで金メダルを

取った選手の言葉、

これからの目標はと

聞かれて、

次の試合もあるし

また世界大会もある、

4年後にはオリンピックが

始まる、

休む間はありません

明日から練習です。

という言葉です。

 

なるほど、

到達して腰を落ちつける

暇はないんだと

ああいう世界でも

やはり道程というものに

生きておられる。

 

腰を落ちつけたら

意識がよどんでいく

その意識が元の木阿弥に

してしまうのです。

熊本を出る時、祖父が

『人生修行の旅』

という本をくれました。

死ぬまで修行だという

諌めを込めて渡したのだと

思います。

 

一服したら

その場に止まってくれると

思うのですが、

そのままでおれなくて

一気に最初に戻ってしまう。

厳しいものです。

足は遅くとも歩み続ける

それが本当の人間の

あり方のように思います。

 

 

 

 

 

 

 

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