孫の 『紗 和ちゃん 』 、
シャボン玉をもって遊びに来ました。
以前も、楽しく遊びました。
大きいシャボン玉を作って、
下から手で風を送りながら、
ふわふわ飛んでいくシャボン玉に歓声をあげました
今回かいは 更に進化して、
電動のシャボン玉の機械です。
ま~ 無数にシャボン玉が出てきます。
紗和ちゃんも、えらく気に入ったもので、
昼食の後もすぐさま始めました。
一緒についてきたシャボン玉の液も
とうとうなくなってしまいました。
ま~~~ だれでも簡単に
シャボン玉が作れるのは
手軽に遊べて、いいものです。
根が子ども的なところがあるのでしょうか ???
紗和ちゃんよりもこっちが楽しみました。
「 あそべる 」 というのは
ありがたいことです。
しかし、 「 シャボン玉 」 の歌には
楽しさよりも、よく考え含んで
味わってみると、
なんとはなしに悲しさも感じ取れるようです。
シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた
シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた
風 風 吹くな
シャボン玉飛ばそ
『 野口雨情 』 が長女を亡くした、
とても愛らしい子であったが
七日目に亡くした
いつまでも悔やんでいたという。
そこから、この歌が生まれたとも
いわれている。
いろいろ説はあるかもしれませんが、
この子供のことを歌ったというほうが、
心にジンと来るものがあります。
そんなことも心の隅にあるのですが、
紗和ちゃんとは、こちらがのりのりになるほど
とても楽しい一時でした。
童心に返れて嬉しかったです。