本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

四摂法(ししょうほう)

2023-05-16 21:09:36 | 十地経

菩薩が衆生を導く時に

四つの方法があると

1. 布施

2. 愛語

3. 利行

4. 同事

これを四摂法といいます

前の三つは何となく

分かるのですが

施しをする、

やさしい言葉をかける、

衆生のためになるような行い

そして、同事

同じ事、というのがあります

単に、相手と同じ立場に立つ

お母さんが子供を育てる時

まさにあの姿が同事と

いえるのではないかと

思っていたのですが

 

講義では経典にそった

話をされています。

 

「衆生を教化(きょうけ)

しようと思うと、

衆生と同じ身を示現する

とこいうようにいっています

示現という意味は、

これは化身というような字

にもなるんじゃないかと思う

化身という。

身を化するという。

こういう考え方はあんまり

外国にはないようですけど

具体化するというような

意味じゃないかと思う。

示現というようなことは

化身というようなことは

非常に具体的になる

 

いろんなものに変わっていく

というような

そのものを教化しようと

思えばそのものになる、

そのものになって

そのものを教化すると。

とにかくそのものになる、

相手になるということが大事

なんだ。

 

自分の立場でものを

言わずにですね、

相手の立場に立って、

しかも

その相手と一緒にだね、

問題を明らかにしていこうと

すると、

相手がうなずいたときには

こちらもうなずくときだと、

こういう心ですね

広い心です。

 

自分というものの一応見解が

あってもそれを保留して、

相手と同じ立場に立って

問題を共同すると。

その問題が解けてきた時には

相手がうなずいたときには

自分もうなずくことが

できると。」

 

というように出てきます

このことについて

先生は「四摂の法」の同事

ということは

言われてないのですが

やはり、同事ということと

同じことではないかと

思います。

 

また、

金剛界曼荼羅の三十七尊

の中にも

四摂の菩薩という菩薩が

登場します

金剛鈎(こんごうこう)

金剛索(こんごうさく)

金剛鏁(こんごうそう)

金剛鈴(こんごうれい)

という名前ですが、

魚を釣る時の様子に喩え

魚を釣る時には

まず、

鈎(針)でもって釣り

索(なわ)でもって引き  

さらに鏁(くさり)で縛り

釣れたことを喜び鈴を振る

ということです

この譬えも面白いと

思うのです。

 

でも、この四摂の法は

教育現場でもよく使われ

洛南高校や西京極幼稚園でも

一つの教育方針として

安田先生の講義が

生かされたのです。

 

                                          

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 如来妙色身 如来名色身 | トップ | 仏教は自覚の宗教 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

十地経」カテゴリの最新記事