本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

頷く世界が内面の世界

2022-05-21 20:35:24 | 十地経

教えを聞くという時

分かるとか分からない

ということより

頷くということが大事です

私たちの頭で理解できる

程度のものなら

それこそ大したものでは

ないのでしょう

私たちの理解を超え

心の中にスッと入っていく

身体に沁み込むような

 

よく講義の中でも

ノートを取らんでもいい

感じた言葉に頷けばいい

と、先生も

仰っていました

 

「だけどまあ

キリスト教とか仏教とか

そういうことを考えるのが

はやけちくさいじゃないか

キリスト教とか仏教が

大事なんじゃない

生きとるものが大事なんです

 

そこにはやっぱり、

違いながら、

べつにキリスト教に

仏教が降参するんじゃないし

キリスト教が仏教に

降参するんじゃない、

もう絶対に違いながら

感応道交(カンノウドウキョウ)

するというのがですね、

これが僕は

大事なことじゃないかと。

 

僕はべつに

キリスト教を感化して

仏教に入れる必要はないと

思う。

キリスト教はキリスト教の

ままで頷く。

いうように

仏教がなればいいわけです

なにも人を、

だから唯物論者を観念論者に

転向させる必要はないと思う

唯物論者なら唯物論者、

何でもええんです。

それで、

しかしながら皆が頷くと。

 

頷く世界というのが

さっき言った

内面の世界です。」

 

よく先生の講義の中でも

「えっ。」「うん」

という言葉が入っています

先生ご自身が

自分の言葉に頷きながら

話しを展開されている

自分の言葉でも

一番先に聞いているのは

自分の耳です。

 

それで、あえて

「ああ」とか「まあ」「えっ」

という言葉は

そのまま書き写しています

その方が話されている

その時の様子が

思い出されてくるからです。

 

先生がお亡くなりになり

奥様が一人でいらっしゃると

よく、キリスト教系の方が

勧誘に見えられたそうです

まあ、奥様も毛嫌いせず

話を聞いておられた

ということです

それで次第に相手の方も

だんだん上の方を連れて

お邪魔され

話しに熱が入ったそうです

しかし、

繰り返し話されているうちに

自分は仏教でよかったんだ

相手の方も

キリスト教でよかったと

どちらも頷かれたそうで

なかよく別れられた

という話しです。

 

私たちの場合、

相手に巻き込まれまいと

最初から拒絶して

話も聞かないというような

そういうことに

なってしまいそうですが

話しを重ねるうちに

お互いの立場が明らかになる

そういう会話が出来たら

素晴らしいと思います。

 

ただ、「頷く」

ということが教えを聞く上で

一番大事なことのように

思うのです。

 

 

 

 

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