本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

Ich und Du(イッヒ・ウント・ドウー)

2022-05-19 19:48:02 | 十地経

「Ich und Du」

この言葉もよく出てきます

「我と汝」ということです

この本が英訳されると

「Ⅰand Thou」となります

thouはyouの古語で

それで汝と日本語になった

のでしょう

 

「仏教では、

煩悩に苦しんどる衆生を、

あなたと。

大地に自分を投げ出すような

凡夫が、

実は大地を支えるような

大きな力を証明する場所

なんだ。

それがもう無上の

それは事業です。

 

そういう立派な事業を

凡夫に与えられとる。

そこに初めて凡夫はですね、

あえて

偉い人にはできないような

素晴らしい価値を自分に自覚

するんです。

 

人間を菩提心として

呼びかける言葉が

汝じゃないか。あなた。

人間のもっとるその能力とか

そんなものに対して

汝とは言わん。

どんな劣等生の学生でも、

あなた、とこ言う。

 

それはその、

劣等生の学生の、

劣等性すら侵すことの

出来ない尊厳なものを

もっとるから。

絶対に劣等にならんものを

もっとるから。

 

それを礼拝するのが教師です

生徒に威張るのは

本当の教師じゃない。

生徒の菩提心を礼拝する

ところに

教師があるわけです。

そういうのが、

汝という言葉です。」

 

こういう言葉は

聴講されていた洛南高校の

先生に向かって

語られたのでしょう。

教育の根本を人間の菩提心

として捉えられた

そいう観点からみないと

頭がいいとか成績がいいとか

勉強ができない

そういう見方しかできない

ようになってしまいます。

 

他者を汝として

見ることによって

自分もわれになるという

「あなた」を認めなければ

「てめえ」になる。

「てめえ」じゃわしも

「わし」になれんです。

「おれ」になってしまう。

 

それは親分子分じゃないか

それでは人間の世界は

自分になれんです。

自分を尊敬できないだろう

「おれ」ぐらいな自分なら。

 

というようにも出てきます

我と汝

これも大きな問題です

今はこの関係が失われ

つつあるようです

「てめえ」と「おれ」では

こういう人間関係では

自分も明らかにできないし

他者も尊敬できない

ようになるようです。

 

 

 

 

 

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