本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

空気の器にカーネーションを活ける

2015-10-23 20:43:12 | フラワー

例の「空気の器」に

まだ元気に残った前回の

カーネーションを再利用、

 

    

 

赤い花と銀色に輝く「空気の器」

 

    

 

上から見るとまた別な表情が、

 

 

   

 

横から見ると丁度網を広げたような、

 

    

 

やや角度をつけてみても面白い、

 

     

 

やや上から見てみると、

カーネーションを中心に

空気の器の変化を楽しみました。

 

 

 

 

 

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幸せはかおりと共に広がっていく!!

2015-10-22 21:23:22 | 住職の活動日記

ということを真剣に科学的に

研究しておられる方がいて

それが明らかになってきている

ということです。

「姿より香りに生きる花もある」

というように、

目には見えないその生き様が

よい香りとして周りの人に

漂ってくるものです。

 

しかし、

「じじくさい」とかいわれると

どうも …

匂いも臭いという表現になると

どうも人を軽蔑した

意味合いにもなってきます。

 

気心が知れた人たちと

食事でもしながら

取り留めのない話かもしれませんが

舌鼓を打ち、話も弾んで

笑い声が広がっていくと、

自分で抱えていた悩みも

少しは軽くなってくるようです。

 

「薫習」(くんじゅう)という

仏教の言葉があります。

香りということをとても大切にします。

 

「仏は香をもって食とす」

といわれています。

お香はもちろんのこと、

お茶でもご飯でもその香りを頂かれる

なんとも奥ゆかしい、

香りは形も目に見えるものも

なんにもありません。

しかし、確かに存在している。

けど、すぐさま消えてしまう。

 

いい香りのするバラの花に

ハンカチを被せておくと

その香りはハンカチに移っていきます。

そのように、その人のした行為が

心に沁み込んでいくことを

「薫習」という言葉で表しているのです。

 

人間の心のいちばん深いところに

貯金箱のような心があり

「阿頼耶識」(あらやしき)といいますが、

含蔵識とも訳され、

私たちの行為のすべてを

良いも悪いもすべて貯えていくのです。

閻魔さまの両脇にいて

私たちの行いを残らず書きとめていく

「倶生神」という神さまは

そのことを表しているのでしょう。

 

頭では分かるけど

なかなか悪い癖は直らない

ということは、

悪い癖しか貯金してこなかった

だからその利息として

悪いことがすぐ出てしまう。

そこに薫習の怖さもあるのです。

 

うまいこと言ってごまかした。

その場はそれで済んだのですが、

心の中では、

阿頼耶識に、誤魔化して

うまいこといったということまで

貯金してしまう。

その行為が私たちには

分からないように薫習されていく。

 

心に香りとして沁み込んでいく

その沁み込まれた心が

次の行為を生み出していく。

その行為のすべてを「かおり」

として表現し、

それが私たちの意識には

感じないように積み重ねられていく

そのことを「香り」という表現で

とらえたのは

実に人間の心の深さを

読み取ったものだと思います。

 

巡礼に出かける、

お寺ではお経をあげ、

バスの中では

おしゃべりしてお八つを頬張り

山道も手をつないで

励まし合いながら登って、

夜にはご馳走に舌鼓を打ち

なんとも幸せな一時でしょう。

帰る頃には皆さんの笑顔が

滲み出しています。

 

確かに、幸せはかおりとして

広がっていくのでしょう。

 

 

 

 

 

 

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空気の器

2015-10-21 18:20:29 | 住職の活動日記

面白いものに出会いました。

 

     

 

「空気の器」という名前が付いていた。

真中の白い花瓶は陶器ですが

その周りにあるものは紙で出来ています。

 

     

 

横から見ると網状のものです。

一枚の紙からできていて、

伸ばしたり縮めたり、と

自由自在に形が変わります。

薄い一枚の紙が立体的に変化し

いろいろな空間を作り上げる

そういうところから

「空気の器」と命名された、

ということでしょう。

 

紙とお寺とはとても深い

関係があります。

お経を書いたり、お札を作ったり

一面からいうと紙の文化は

お寺によって発展したとも、

いえるのではないか  ?

と思っているのです。

 

これを作られたのは

『福永紙工』という会社、

いろいろ面白いものを

作っておられます。

 

    

 

空に浮かんでいる、

なんとも不思議な物体、

近くで見ると、

 

    

 

このように紙を組み合わせたもの

立て横の色が違うので

風に揺られてゆらゆら動くと

いろいろな姿が楽しめて

ボーっと眺めていられそうです。

 

    

 

クラゲのような

「ゆらゆら」という名前らしいのです。

これも一枚の紙からできているのでしょう。

 

一枚の紙を切り抜いて

このような形ができると

技術の進歩に驚かされます。

昔は、

お札とかは折り方の工夫で

いろいろな形を作った、

今は切りぬくという技術です。

 

 

      

 

これもとても小さなものですが、

切り抜いたものを抜き取り

貼り付けて作りました。

(彼女の力作ですが)

「秋の公園」という題でしょうか。

 

一時期は紙の世界も

プラスチックとかに

取って代られたこともありますが

今また見直されているのではないでしょうか。

 

余談ですが、

こんな話を聞きました。

日蓮上人が全国の信者の方に

自分はとても困窮していると、

手紙を送っているのですが、

今になって調べ直してみると

手紙に書かれた紙を見てみると

とても立派なものが使われている。

これだけの紙をつかえたというのは

とてもいい暮らしをしていたのでは??

と、紙からその文化の程度が図られた

ということのようです。

 

やはり、紙というのは

その時その時の文化の深さを

表すものでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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止観 と 惛沈・掉挙

2015-10-20 21:39:37 | 十地経

仏教でいう行とはつまるところ

「止観の行」に尽きると思います。

 

今天台宗の比叡山では

大阿闍梨が最後の難行と

いわれている「堂入り」に入られました。

13日から入られ明日21日未明に

出堂されます。

断食断水、不眠不臥で9日間、

傍から見れば大変な命を懸けた

難行です。

内面的には、止観の行の完成という

ことになるのでしょう。

 

 

 

十地経でも「止観」ということが

中心課題です。

その止観をさまたげる煩悩が

「惛沈」(こんじん)・「掉挙」(じょうこ)です。

 

煩悩といっても激しい荒々しい煩悩

根本煩悩といわれる、

「貪・瞋・痴」

むさぼり・いかり・ぐち

という誰にもわかりやすい

煩悩です。

ところが普段は気がつかない煩悩

もあります。

 

それは随煩悩といわれています。

随伴して起こってくる。

根本煩悩に随って起こってくる。

普段わからないというのは

非常にデリケートな煩悩です。

私たちが目的をもって

それに向かっていこうとすると、

今までは何でもなかったことが

妨げとなって浮上してくるのです。

 

仏教でいえば修行とかの

精神生活に入ったときに

見えてくる煩悩です。

その代表が「惛沈」と「掉挙」です。

惛沈は止観の「観」を妨げる

煩悩、

掉挙は止観の「止」を妨げます。

 

「惛沈」は字の形から

なにかしら心が沈んでいく

「観」という活動が起こってこない。

反対に、

「掉挙」はどちらもあげるという、

心がウキウキしてくる、

「止」という止まって静かに

思索しようとしても、

気が静まらない、

そういう随煩悩です。

 

「止観」ということも

それを妨げる煩悩から見てくと

分かる面も出てきます。

止観、動静一如ということもいえます。

止と観、正反対のものが相応する

そこで、

「止観双運」「止観双行」と

こういう言い方もあります。

止と観という二つの行です。

 

双行ということは熟練ということ

行でも繰り返しやっていくうちに

成熟していって、

先日書いた「解行」という、

解と行が一つになっていく。

 

例えば思ったのは

ラグビーの五郎丸選手、

あの練習を見ていると

練習が成熟していく、

そこにはチョーキングといわれる

難関がある、

その心は「惛沈」そして「掉挙」

という二つに悩まされたのでは??

 

何れの道にしても

それを極めようとすれば

「惛沈」「掉挙」という煩悩は

対治していかなければ

ならないものです。

 

「止観」ということを

安田先生は、

『いろいろあれこれ思うことをやめて

ものとなれ。

そうすると、ものが自分自身を

表現してくる。

こちらが表現するんじゃない。

そういう小賢しさを捨てて、

真にものとなれ。

ものをしてもの自身を語らしめる

方法がこれが止観なんです。』

 

と語っておられます。

なかなか語り尽くせませんが、

やはり仏教の中心問題です。

心の中心に据えて

間断なく熟練するように

続けなければと  …

 

 

 

 

 

 

 

 

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解行 (げぎょう)

2015-10-19 20:39:37 | 十地経

文字を書き写すということは

丁寧に読んでいくということでは

いいのですが、

文字に疑問も出てきて

遅々として進まないという

欠点もあります。

 

「解行」ということも

仏教用語なのですが、

書いていて『解』という文字、

が妙に引っかかってきます。

角(つの)という字に

右側に刀と牛と書きます。

 

やはり、牛を解体するということが

もとの意のようです。

そこから、意味も多岐にわたり

ものをとくということから始まり

バラバラにするという分解

切り離すところから解剖

物事のほつれをとく、解決

こだわりをとく、なかなおりをする

とkろから和解

物事を分かるようにする、解明

ときあかす、講義する、解説

と、もっとたくさんの言葉が

生まれてきています。

牛を解体するということから

実に全く違った精神的な

言葉にまで発展してきたものです。

 

ところが、仏教語になると

「解行」ということは

と二つからできていて

は仏の教えを理解する

もっと厳密には智解という言葉で出てきます。

はその聞いた教えを実践する。

「智行一如」という言葉でも出てきます

聞いた教えはそのままでは

なんの役にも立たず、

その教えを実践してこそ

身に付くものだと、

だから、「解行」ということを、

鳥の両翼とか車輪の両輪と

譬えられています。

 

仏道は「聞・思・修」

いわれています。

よく聞き、自分を感情に入れず、

そしてよく考え、

その上で頷いたことを実行に移す

この繰り返しが仏道修行であると

 

自分勝手に聞いていると

実践してみると間違うし

聞くだけ聞いて実践しなければ

それは机上の空論だと。

 

といっても

何でもやりさえすればそれで

いいというものではなく。

行といえば「止観」ということが

仏道の行であると、

十地経の中でも

この「止観」ということが

繰り返し繰り返し述べられています。

 

まあ、こんなことで

なかなか進まないのですが…

しかし、分からないけど

経典をじっと眺めて

文字を追っていると

なにかしら切るところとか

つながりが見えてくる

そのような出会いも面白いものです。

 

 

 

 

 

 

 

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御所の細道

2015-10-18 19:39:40 | 住職の活動日記

「御所の細道」

誰が言い出したわけでもなく、

こう呼ばれている細い道が

御所には一筋通っています。

 

   

 

自転車が通るうちに自然に

幅40センチほどの道ができたのです。

また、

世界で一番美しい自転車道路

ともよばれています。

京都御所は一面、

砂利が敷き詰められています。

自転車で通るにはちょっと大変!

 

おもしろい「車いす」発見

 

    

 

砂利の中を行くのに

タイヤが埋まらないように

こんな大きな車になっています。

 

   

 

なんと、環境省の車いすです。

 

この奥の細道、一車線です。

どうやって離合するの ??

 

    

 

子供ずれの家族が向こうへ

そこへ向こうから年配の二人組が

普通は暗黙の了解で

若い方が道を譲ると、

 

     

 

しかし、ここでは家族ずれ優先

年配の方が道を譲られていました。

 

 

御所もこれからが紅葉の

美しさを迎えます。

 

     

 

ちょうど早々と「サルスベリ」が

紅葉し始めています。

 

    

 

せんだんの大きな木、

 

    

 

松が寄生木(やどりぎ)をしています。

 

    

 

せんだんの木に出来たコブ、

寄生虫の仕業らしいのです。

そのコブを切り取ったところに

松が寄生木したようです。

 

 

    

 

万葉集にも詠まれている「藤袴」

秋の七草のひとつです。

絶滅が心配され、その原種を

2008年の源氏物語千年をきっかけに

KBS京都が中心になって

育てているそうです。

 

不思議なことに、

 

   

 

まだ「額アジサイ」が咲いていました。

もうとっくに枯れて

普通のアジサイは枝だけになっている

のに、

    

    

 

「蕗」も綺麗な黄色で咲いています。

 

御所には面白く、

遊園地もあるのです。

 

    

 

梟さんがとまったブランコ、

いろいろな遊具もあり

結構広く、安全なので、

ご近所のお子さま連れの

格好の遊び場になっているようです。

 

 

    

 

大きなイチョウの木もまだ

青々としています。

 

11月半ばごろには見事な

紅葉が見れることでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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みんなちがって、みんないい

2015-10-17 17:21:04 | フラワー

めずらしい容です。

 

    

 

 

円い花器にサークルのように

活けてあります。

 

   

 

一見まとまらないようで、

それぞれが仲良く咲いています。

 

   

 

 

どこから見ても、

それぞれの花が競うわけでもなく、

みんな精一杯咲いているようで、

 

 

    

 

上から見た姿

フラワーリングです。

 

「みんなちがって みんないい」

 

こういう活け方もおもしろい

小さな花までが

自分の精いっぱいの姿を

現しているようです。

 

 

 

 

 

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地球上最強の育メン !?

2015-10-16 17:23:20 | 住職の活動日記

NHKのドキュメント番組でした。

最強といわれる育メンとは

「タツノオトシゴ」です。

オスが出産するという …?

それをメスというのでは、

と思っていましたが、

卵を産むのはメスで、

その卵をお腹で育てるのが

オスなのです。

 

魚の中にはオスが子育てをする

例えば口の中とか、

そういう種類もいるようです。

タツノオトシゴもその中の一つで、

 

メスは卵を産み付けるオスを探します。

オスは育児曩(ノウ)と呼ばれる

袋を膨らませて、

自分のはこんなに立派だぞ!

と、盛んにアピールします。

メスは立派そうな気に行ったオスに

たまごを託します。

 

その姿が、

なんともうつくしい 

口と口を合わせ

お腹とお腹をくっつけて

たまごをオスに預けます。

それはきれいなハートの形になり

なんとも美しい営みです。

 

それから一月ほどオスはお腹で

子育てに励みます。

時期が来ると

体を海藻に巻き付けて

育児曩から子を生み出すのです。

 

 

つわりの重い娘が

「いいな~!」

というように眺めています。

人間もたまごで産めたら

さぞかし楽ではないかと

思うのですが …

こればっかりは男には

察しがつきません。

 

お釈迦さまは霊鷲山というところで

お説法されます。

「父に慈恩あり、母に悲恩あり」と

ここによって人は生まれてくるのだと、

その恩を諄々と説かれます。

 

懐胎守護の恩が最初に出てきます。

『悲母 子を孕めば十月の間に

血を分け、肉を頒(わか)て、

身重病を感ず。

子の身体、これにより成就す。』

 

「初めて子を体内に受けてから

十ケ月の間、

苦悩の止む時がない

他の何も欲しがる心も生まれず

ただ、一心に安産することを

思うのみである。」

   …

それを聞いた阿難尊者は

このお経はどういうお経ですかと

尋ねます。

父母恩重経というお経なのですよ

とお釈迦さまはお答えになっています。

 

私たち人間が生まれてくることの

大変さをあらためて

感じさせられます。

人間だけが未完成で生まれてきます。

だからこそ、

教育とその育つ環境ということが

大切だということを

思い知らされます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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良い香りに誘われて …

2015-10-15 20:50:23 | 住職の活動日記

秋晴れの良い天気  

清々しい一日でした。

 

外にでるとどこからともなく

いい香りが漂ってきます。

もう、キンモクセイの季節です。

ご近所の庭にあちこちに

植えてあります。

 

     

 

今が一番満開のようです。

「キンモクセイ」漢字で書けば

金木犀、金の木に

サイという動物の名と一緒の

という字を書きます。

だからでしょうか?

犀という字は牛偏の部に

入ります。

 

香りがよいので、

邪気を払うということもあり

女性の鬼門である裏鬼門に

植えると、良い女の子が育つ

といわれています。

 

さて、

わが家の玄関の片隅に

 

    

 

昨年から枯れずに育った

シクラメン、赤い花も出しました。

 

 

     

 

 

白のシクラメンも一輪でたのに

続いて、

小さな花芽を出しています。

 

ご近所を回ってみますと

 

    

 

近鉄沿線沿いには

酔芙蓉の花もたくさん見かけます。

 

これからいよいよ秋も深まり

また、

紅葉が楽しみな季節になってきます。

 

 

でもわが家は

なにかしら忙しくなりそう!!!

 

モミジどころではないかもしれません。

ジジ・ババ  

 

 

 

 

 

    

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どんぐりころころ

2015-10-14 20:08:13 | 住職の活動日記

何気なく歌っていたこの童謡

 

 どんぐりころころ ドンブリコ

お池にはまって さあ大変

ドジョウが出てきて こんにちわ

ぼっちゃん いっしょにあそびましょ」

 

分かるようでわからない

歌です。

どういう場所設定なのでしょう。 

童謡はだいたい

理屈では分からない歌詞が

多いのです。

 

小平の森を散歩中

クヌギの木でしょうか ?

たくさんのドングリが落ちています。

 

    

 

何かしら、なつかしさを覚え

たくさんひろいあつめました。

孫と競争で夢中になり 

 

上を見上げると、

 

    

 

葉の先の方にドングリの実が

(小さな茶色の点がドングリ)

付いています。

風にあおられ、ぱらぱらと

落ちてきます。

 

その落ちた実に

 

    

 

テントウムシの子供もやってきました。

ドングリに乗っかって、

周りをぐるぐる回ったり

 

ここではドジョウではなく

テントウムシが出てきて

こんにちわのようです。

暫く一緒に遊んだ様子でしたが

テントウムシも去って行きました。

 

ちょうど孫連れてのお散歩、

ジイジイとしばらく

一緒に遊んだのですが、

やっぱりお母さんが

恋しくなったのでしょう。

「かえる~~!!」

と泣き出してしまいました。

 

 やっぱりお山がこいしいと

泣いてはドジョウを困らせた」

 

なるほど

ジイジイと孫の様子からして

わが身にあてはめてみますと

納得です。   

 

しかし、武蔵野の近辺には

まだ残る森が

いろいろな公園として

活かされていました。  

 

 

 

 

 

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