本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

桜の戦士 帰国おめでとう!!

2015-10-13 17:58:23 | 住職の活動日記

にわかラグビーファンになりました。

ベスト8には残れなかったものの

南アフリカを破り、

3勝を挙げたことは素晴らしい 

ルールもわからないのですが、

気になったのは、

あの五郎丸選手

ボールを蹴る時のしぐさです。

ルーティンRoutineというようです。

決まった仕事、とか

日課というような意味もあるようです。

 

ゴールを狙って、

やや腰をかがめ、

祈るようにまるで「不動独鈷の印」

のような手の組み方です。

それが見事に決まる。

 

その形を生み出すまでには

いろいろの苦労もあったようです。

「同じ練習を繰り返す」

そして、

「目の前のことに集中する」

といっておられます。

 

その形を作り上げるまでには

何万回もの繰り返しの練習をされたことでしょう。

ところが、

チョーキングChoking

という表現をとられてましたが、

それだけ練習されたのに

突然決まらなくなる。

チョーキング、窒息するという

意味がありますが、

今まで出来ていたことが

ある時出来なくなる。

そういうことでしょう。

 

なにかしら修行のなでの

出来事のようにも思います。

そこを乗り越えてこそ、

そこを乗り越えることができなければ

やはり一歩も前に進めない、

そういう時があります。

 

ちょうど十地経でいえば

第七地という難関です。

人間にはやればやるほど

この難関が出てきます。

やらない人には難関はないのです。

この難関に出会ったということは

それだけ修行してきたということです。

 

その時、五郎丸選手は

「自分の心を整えるのは

自分の行動しかない」

と、さらにそのルーティンを

正確無比になるまで

磨きをかけて行ったということです。

 

3勝1敗という成績ながら

ベスト8には残れなかったという

ことは残念ですが、

この結果は次につなげていく

大きな一歩だと思います。

 

始めて見たラグビーの試合ですが

これだけ興奮できたのは

なによりも選手の方々の

どこの国にも負けないほどの

練習量の賜と思います。

 

見ているうちにルールも分かって

くると思います。

機会があれば、生の試合を見てみたい

とても心躍るスポーツのように

感じました。

 

ほんとうにみなさんお疲れ様でした

日本中ラグビーで盛り上がった

素晴らしい興奮を有り難うございます。

       

 

 

 

 

 

 

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楽天オープン錦織選手を見た!!

2015-10-13 14:42:04 | 住職の活動日記

いつもはテレビでしか見たことのない

テニスの試合、

初めての試合観戦、ちょっと興奮

 

    

 

といっても取れた席は一番上、

コートははるか下に見えます。

けど、試合の迫力はテレビとは違います。

 

    

 

この日はチリッチ選手との準々決勝、

自撮り棒で観客の皆さんと

試合前の記念撮影、

 

    

 

いよいよ錦織選手の入場です。

 

 

    

 

記念撮影をして、

体格差が物凄い、

まるで大人と子供のような違いです。

 

しかし、

 

    

 

錦織のサーブも冴えていました。

 

    

 

たまたまですが丁度いいカットが

撮れました。

 

    

 

途中肩を痛めた様子でしたが、

 

    

 

皆立ち上がっての応援です。

結果、

この試合はものにしました。

 

 

 

    

 

試合後のインタビューも

引き締まった顔が

試合の厳しかった様子を伝えています。

 

   

 

勝ち名乗りをあげて、

皆さんとの自撮りでの記念写真、

 

そのあと、

 

    

 

松岡修造さんも出てきて、

試合の様子を説明していただき、

やはり簡単な試合など

一つもないということを若い子たちに

教訓として話されています。

 

終わる頃には日も落ち、

 

    

 

いつも見ているWOWOWの中継車

結構大がかりな様子に

驚きました。

 

まあ、この日は勝ったのですが、

楽天オープンの優勝は

残念ながら逃してしまいました。

 

その後はテレビで見たのですが、

簡単に勝てるかと思いきや

意外なところで

自分のペースをつかめなかったようで

残念な結果に終わってしまいました。

 

ランキングは変わらなかったようですが

次回また頑張れ !!   

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富士山には早や雪が!!

2015-10-12 20:48:32 | 住職の活動日記

ちょうど新幹線の中から

富士山を拝むことができました。

 

   

 

頂にはもう雪が積もっています。

 

   

 

 

やはり美しい姿です。

昔の都都逸でしたか??

「… 三国一の富士の山

 

     

 

三県にまたがって、

 

 甲斐で見るより 駿河がよい

やはり、

 

   

 

静岡側の富士山が

 

   

 

山梨県側より美しいというのでしょう。

 

という、歌もありましたが

駿河で見る方が美しい姿です。

 

  

 

東名高速を走る方も

美しい富士山を見ることが出来たでしょう。

 

米原を過ぎた頃、

 

   

 

空には黒い雲が出てきました。

関西の方は天気が悪いのかな??

しかし、

そこを過ぎて滋賀県に入った頃、

 

   

 

走りざまに撮ったのですが、

滋賀県の富士山「近江富士」です。

 

   

 

撮る場所によっては

もっと美しいのですが、

新幹線も速く 

あっという間に通り過ぎてしまいました。

 

   

 

といいながら、

京都に着きました、何かしら久しぶり。

東奔西走というような

日々が続きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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無住処涅槃

2015-10-10 18:13:57 | 住職の活動日記

無住処涅槃、むじゅうしょねはん、

 

ふと、はは親といいますか、

特に女性を見ていると、

何処にでも行った先々で

主シュになれるようで

炊事、洗濯、掃除と

はたまた、自分が留守をする

というと留守の子にお弁当を

作ってと、

八面六臂の大活躍です。

 

男はというと、

なんだか、特に現場を離れると

お客様になってしまって、…?

 

昨日は金曜日、

俗に言う、ハナキン花の金曜日

明日明後日は休み

心がウキウキしてきます。

しかし、

日曜の午後ともなると

心の片隅に鬱陶しい影が出てきます。

 

 

若い頃よく指摘されたのですが、

久しぶりに熊本へ帰るとなると

心が喜んだのですが、

帰っていると、何かしら東寺のことが

気になり、

身体は熊本にいるのに心は東寺が気になり

いざ、帰ってきて五重塔が見えると

重たい気持ちで押し潰されそうに

なりました。

 

身と心がバラバラの状態です。

お前は四国辺りにいるのか、と

注意されたものです。

 

身体と心がひとつになる。

当たり前で、簡単なようでも、

自分のこととして照らしてみると

案外出来ていない。

 

無住処涅槃、

厳密には難しい解釈があるのでしょう。

しかし、自分の身に引き受けて考えて

みると、

意外にも、女性のように

軽やかな身のこなしで、

その場、その時に主シュとなっていける

その姿こそ、

無住処涅槃ではないかと

そのような姿が目にとまりました。

 

 

 

 

 

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ほとけさまは不疲倦 !?

2015-10-08 18:07:17 | 住職の活動日記

不疲倦、ふひけん、と読みます。

疲れないということですが、

お経のなかには、

ほとけさまは不疲倦と、

出てきます。

 

 

正確にはいろいろ難しい解釈が

あるのでしょうが?

 

私の祖父もほとけさまでは

ありませんが、

よく寝ずに勉強していたことを

思い出します。

安田先生も東寺での講義に

見えられた時、

夜中もずっと電気が点いていたし

朝も早くから起きておられる

様子で、いつ休まれるのだろうと

不思議に思っていました。

 

脳を休ませるということも

ありますが、

人間、究極的関心というか

アルティメットコンサーン

という問題にぶつかると

 頭は活性化してくるようです。

 

真理は人間を越えたものですが、

その真理の言葉にうなずいたとき、

真理は自分の心のなかで、

思索というか思惟が始まり、

智慧が生産され、

先生の言葉をかりると、

泉のように湧いてくるそうです。

 

そうなると、

頭は益々働きだすのでしょう。

 

脳を休ませるということも大切な

ことのようですが、

疲れを知らない脳ということも

あるようです。

 

 

 

 

 

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脳を休ませる!

2015-10-05 21:53:40 | 住職の活動日記

これもテレビからの情報ですが、

脳を休ませるには?

目をつむるのが一番という

ことのようです。

 

 

そういえば、

頭に入って来る情報の

80%は目からのようです。

その目を閉じることで

外からの情報を遮断する。

さすれば脳は休まるという

ことなのです。

 

座禅して目をつむると

かえって妄想が出てきて

その対治にかかり果てて

しまいます。

 

ほとけさまの顔を見ると

半眼といって薄目を開けて

おられます。

3尺先といいますから

90センチ先に目をおとして

おられます。

 

頭が疲れたと思ったら、

静かに目を閉じるのも

いい方法かもしれませんね!

 

携帯からアップしてみました。

やはり、携帯からでは

書く方も集中できにくい

ようです。

 

 

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西京極幼稚園秋季運動会

2015-10-04 20:54:58 | 住職の活動日記

美しく晴れあがった秋晴れのもと

園児さんたちの一生懸命の

遊戯や競技に楽しい一日を過ごしました。

 

   

 

「参仏」から始まります。

園児さんが揃って参仏する姿は

みごとなものです。

日頃の繰り返しの参仏が

すっかり身に付いています。

 

さて、

競技に入ると

 

     

 

これは「おさるのかごや」、

団体で協力して行う競技、

 

    

 

それぞれに担ぎ方にも工夫が見られます。

こういう競技を通して

協力して物事を作り上げる

ことを学んでいくのでしょう。

 

    

 

年長さんになると遊戯も

美しくそろって見る者を圧倒します。

3年間という月日が

分けもわからない園児さんたちが

ここまでの演技をするのです。

 

 

    

 

綱引きには応援される先生方にも

力が入るようです。

 

    

 

年中さんでも見応えのある

演技をされます。

 

私の孫とか知っている人が

いるわけでもないのに、

本当に楽しめます。

演技のつなぎも皆さんの

協力の賜でしょうか、

次から次に間合いも空くことなく

次々に繰り出されていきます。

 

 

    

 

八木節も園児さん方ものられるようです。

棒を持っての遊戯も決まります。

 

そうこうしているうちに、

 

   

 

最後の組体操に、

こんな小さな子どもさんたちが

ここまでやるのかと!!!

驚きです。

 

   さいごは、

 

    

 

参仏で終わります。

 

最近は小さいうちから知的教育に

力を入れがちですが、

ある仏教の先生のお話で、

知的教育の前に集中するという

三昧の世界を教えることが

大切である。

ということをお聞きしました。

 

遊戯に集中して、

みんなで協力して、

作り上げていくという

三昧の世界を体験させるという

このことが人間形成には

なによりも大切ではないかと

橋の運動会を見て

つくづくと思い知らされました。

 

すばらしい、たのしい

運動会を有り難うございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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フラワータワー

2015-10-03 18:18:54 | フラワー

久しぶりに花が活けられました。

いろいろ外出することも多く、

お花の教室がご無沙汰だったのです。

 

   

 

勝手に「フラワータワー」と

名づけましたが …、

 

   

 

久しぶりのお花、

『どこから見ても、きれいだな』

 

   

 

それぞれが生き生きと、

 

   

 

あっちこっちからも撮りました。

 

   

 

 

 

 

そして今日はまた見事な秋晴れです。

 

     

 

これは「京都タワー」、

空がとっても青いから  

遠まわりして帰えろう  

 

と、

 

   

 

空の美しさに見とれていました。

 

 

 

 

 

 

  

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ヨガ or ヨーガ

2015-10-02 20:47:34 | 住職の活動日記

普通にはヨガといいますが、

正しくは「ヨーガ」といいます。

といいますのは、Yogaと書き、

サンスクリットではOとEは長母音

になるので、ヨーガと長くいうのが

正しいのです。

でも、単にヨガでもいいのでは、

 

月に何回かリラックスヨガへ

行っています。

やはり固くなった体をゆっくり

伸ばしていくのは

終わった後の身体のほぐれた

感じは何とも言えないものです。

 

ヨーガは訳すると「相応」という

意味になります。

また、真言宗では三密瑜伽

というように、ヨーガを瑜伽(ゆが)と

音写します。

止観の行により真理と相応する

ということでしょう。

 

十地経の中でも「止観」の行ということが

繰り返し説かれています。

止と観とは反対概念です。

簡単には「動静一如」といいますか、

止という止まるということと、

観という見るという動的なことが

一つだという。

 

動と静、反対なこと理屈では

しかし、事実はスポーツ選手とかは

よく経験される。

例えば以前ですが「王選手」が

ホームランを打てる時は

ボールが止まって見える、

ということもその一つでしょう。

 

お釈迦さまは、最初は

禅定主義の瞑想に入られます。

その次は苦行です。

とことんまで自分の身体を

痛めつける修行です。

しかし、そのどちらも悟りには

至らないと、

「苦楽の二辺を離れる」

ということでどちらも

捨てられるのですが、

ヨーガという瞑想の一部だけは

取り入れられた。

菩提樹の下に座し深い瞑想

三昧、禅定に入っていかれるのです。

 

だから、瞑想の一部「ヨーガ」だけは

残されたのです。

今では一つの健康体操のようになって

特に女性に人気のようですが…、

本来は瞑想に入っていく

一つの手立てでしょう。

 

確かに、足を組み座禅しても

なかなか、妄想が湧いてきて

それを対治するのが大変で

それにかかり果てるということがあります。

ヨーガで呼吸を整えながら、

身体に意識を集中し、

体位を決めていくと、

その方が早いこと心が集中するようです。

 

今では、苦しいことが修行のように

思われがちですが、

お釈迦さまはそうではなく、

「止観」が行であるといわれています。

「戒・定・慧」とも、「念・定・慧」とも

いわれますが、

一つの戒を保つことにより

定が生まれ、

心が定まり定が生まれると

そこで初めて智慧が生まれてくる。

これこそが本当の修行だと言われています。

 

念・定・慧も同じことで、

念とは憶念不忘というように

聞いたことを心に深く念じて

忘れない。

そこで初めて定が生まれてくる

定という素地ができてこそ

そこに智慧が生まれてくる。

 

まずは外に向いている心を

内に向ける方法としては

ヨーガということも

それなりのはたらきがあるのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

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「シンくん」の世界が消えた!!

2015-10-01 19:49:03 | 住職の活動日記

「シンくん」はとても優しい仔でした。

おとなしく、

私が部屋で書きものをしていると、

ひざもとにやって来て、

微妙な距離感を以て

そばにいてくれました。

食も細いというかグルメというか

一緒にご飯をやっても

先に「こころちゃん」が、がつがつ

食べるのを横目に

自分は食べないで、こころちゃんが

食べ終わる頃やっと食べだす

たまには自分の分までこころちゃん

食べられてしまう。

嫌なことされても噛んだり

反抗的な態度は

一度もありませんでした。

 

本蔵院の中にいても

「シンくん」の見ている世界と

「ころろちゃん」の見ている世界は

まったく別な世界を

心に描いていたのでしょう。

 

仲良く遊んだ崇正家族も

それぞれに全く別な世界を

見ているのです。

 

唯識というお経には

「識のみあって境なし」

と書いてあります。

なかなかこの言葉の意味が

解りませんでした。

 

「シンくん」が見ていた本蔵院、

「こころちゃん」が見ている本蔵院

崇正家族がそれぞれに見ている

本蔵院、

たまに帰ったときに見ている

私たちの本蔵院、

それぞれに見ている世界は

まったく違う世界を見ているのです。

 

「こころちゃん」にとっては

ご飯を食べてゆっくり寝て

遊んでくれる家族がいて

走りまわれる楽しい場所

というのが本蔵院なのです。

 

住職の崇正にとっては

お参りする所であり

悩んだ人の相談を聞く場所

それこそ

多くの方々の癒される場所

それが本蔵院です。

 

一つの場所でも

その人にとってはそれぞれに違う

世界なのです。

唯識的には

本蔵院があるのではなく、

それぞれの人が本蔵院という

世界を思い描いている

本蔵院という意識が起こっている

ということになるのでしょう。

 

また、唯識では

「東京が来る」といいます。

「東京に行く」のではなく、

東京に行こうと思った時には

もうすでに心の中には

東京という世界を思い描いているのです。

 

自分が死んでも世界は変わらず

永遠にずっと続いていくものと

思っていたのですが、

事実は世界とは自分が

勝手に思い描いているのです。

自分が死ねば世界も終わる。

 

なんだか、そういうことが

少しだけわかるような気がします。

だから執着すべきものは

何もないのでしょう。

だからどうでもいいというのではなく、

だからこそ、今このチャンスを

自分を修行の場に置き

自分自身の発見に努めなければ

ならないのです。

 

「シンくん」のように

いつその終わりはやって来るか

わかりません。

6歳という短い一生でしたが

「シンくん」は自分の精いっぱいの

あふれんばかりの

自己表現をして生き抜いたのです。

 

その死をゆめゆめ

他人事にしてはならないと思います。

 

 

 

 

 

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