かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

急速に浸透する生成AIをどう受け止めていますか?

2025年01月23日 | 出版業界とデジタル社会

2024年から一挙に広がりはじめた生成AIの世界。
身の回りで慎重論も多いなか、その進化スピードのあまりの速さに追いつかんがために、ガンガン喰らいついていく人もたくさんいます。とりわけビジネスの世界では、その導入レベルで大きな差がつくことは間違いありません。

私も、多少の問題はあっても、この進化スピードを考えれば多くの問題はみるみる解決されていくものと考え、技術にはついていけないものの、考え自体は積極導入派です。

仕事ではまわりのスタッフに、まずはプロンプト知識などは気にせず、とにかくどんどん使って馴れてもらうようにスマホアプリの活用を促しています。

 

そこで、慎重派の人たちに向けてこれまでの流れを整理してみると

1,とてつもなく優秀な社員が入ってきたことはわかるが、その能力をわが社でどう使ったらよいのかわからない段階。

2,とりあえず使ってみて、時々とんでもない答えが返ってくるのを何度か経験すると、思い通りの答えの帰ってこないほとんどの原因が、自分のAIへの指示の仕方が具体的でないことに起因していることに気づきます。
 このことは、とりもなおさずAIに具体的な指示ができないということは、人間(従業員)に対しても具体的な指示ができていないことと同じであると気づかされます。

3,現時点で生成AIがかかえている諸問題も、この1年での進化スピードを考えれば、新しいアプリが次々と登場することにみられるように危惧される問題以上に、解決し前に進んでいくスピードの方がはるかに速い。

4,あまりにも急激で大きな歴史的変化であるかに思えますが、産業革命などと何が違うのかと考えると、それはルターの宗教改革に近いものだとわかります。
 それまで教会の中で神父さんをつうじてしか聞けなかった神の言葉が、グーテンベルクの印刷技術の発明にともなう聖書の普及とともに、いつでも誰もが手元の聖書とともに神の言葉を聞くことができるようになりました。
 まさに今の生成AIの登場はこのような歴史的出来事なのではないかと。

5,人間がするべきことは何かという根本的な問いに対しては、多くの情報を収集・分類・整理することはどんどんAIにまかせても大きな問題はなく、むしろ人間がすべき大事なことは、それらの情報をもとにした「決断」と「行動」であることを再認識させられる時代。

6,AIによって生産性が上がるのであれば、人間が本来もっとするべきこと、経済活動よりも生命活動に重点をおく暮らしが可能になるはずで、それは必ずしも趣味や余暇の世界ばかりに生きるという意味ではなく、もっとも神秘に満ちて謎の多い「人間」や「大自然」そのものにエネルギーを注ぎ込むことが活発になる社会といえるのではないでしょうか。

 

AIがどんなに普及しても、人間が本来するべきことを考えれば、人間のすることがなくなるなどということは、まったく私は考えられません。

もちろん今まで行っていた多くの作業で無くなるものは多いと思いますが、最も大切な決断と実行の部分を考えれば、恐れることなくAIはどんどん使ってかまわないことと思います。

先のフジテレビ経営陣の2回目記者会見の姿をみて一層、人間の行うべき「決断」の大切さ、それを理解せずに作業や調整に留まる仕事に追われるだけかの姿は、経営者に限らず自律した人間にとって何が大切なことであるか、改めて痛感しました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

AIの急激な進化にこれからどう向き合うか

2025年01月04日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

新年明けましておめでとうございます。

 

2024年は、メジャーリーグでの大谷翔平の進化スピードに、ひたすら驚くばかりでした。

他方、昨年たった1年でのchat GPTに始まるAIの進化、普及のスピードにも驚かさせ続けています

通常の物事の進化、発展スピードは、倍々ゲームで増えても驚くのに、AIの進化スピードは、100×100×100×100・・・といったようなレベルで進歩していきます。

大谷翔平の進化スピードでさえ、私たちの感覚はついていけないほどなのに、AIのこのスピードが理解できるはずがありません。

ところが、数学的思考に慣れている人たちは、この次元の違う世界を記号で理解します。

地球上の感覚だけでなく、宇宙の世界レベルを日常把握しているからです。

地上では、近くのものは大きく、はっきりと見えて、とおくになるほど小さく霞んで、やがて見えなくなるのは、数十から数百キロの世界。

それが宇宙では、数万キロどころか、数億、いや何万光年といったスケールが日常世界。

これはとても地上の私たちの日常感覚では、ついて行けません。

 

でも、冷静に考えると地上の日常世界でも、この次元の違う世界を目の当たりにして感じることができる時が身近にあります。

それは、夜の星空。

 画像はイメージです。

地球上の日常では、頑張っても数百キロ先くらいしか見ることが出来ないのに、同じ場所で夜になれば、数万から数百万キロ先の惑星ばかりでなく、何万光年先の星や銀河までが、肉眼で見えているのです。

夜空で点にしか見えない星が、太陽よりはるかに大きな恒星だったり、巨大な銀河の塊であったり。

 

AIの異常な進化スピードは、たしかにこれまでの私たちの日常感覚ではとてもついていけないような世界ですが、もう一方で日々見ることができる星空の世界は、とてつもない世界を日常感覚として誰もが感じることができると言うことも、現代人は思い起こす必要があるのではないでしょうか。

地上の日常感覚の隣りに、異次元の日常世界があることを日常感覚として受け入れる時代がやってきたのだと思います。

もしかしたらその辺は、古代人の方がよく理解していたのかもしれません。


今ふと、この大きな変化は、産業革命のような大きな変化というよりは、ルターの宗教改革に似ていると感じました。

AIは、何か特定のモノというよりは、日常のあらゆるモノに浸透していく技術なので、それはちょうど、教会のなかで神父さんの言葉を通じてしか学べなかった信仰が、グーテンベルクの印刷技術の発明とともに誰もがいつでも手元に聖書があることで神とともにいられるようになったようなもの。

そう思うと、かつてないような大変化も、歴史の1ページとして冷静な受け止められるような気もします。


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする