近代民主主義の父と呼ばれるJ・ロックが、「個人の自由」を唱え、それは海を渡ったアメリカの独立宣言で、「生命、自由及び幸福追求」の権利という表現に結実しました。
ところが、ロック自身の『市民政府論』の中では、「生命、自由、財産」の3つであらわされてます。
アメリカの『独立宣言』を起草したジェファーソンは、「財産」という言葉は崇高な建国の理念としてはあまりにも露骨すぎると感じるデリカシーがあったのか、これを「幸福追求」という上品な言い回しに書き換えた。(関岡英之)
日本国憲法第十三条の「生命、自由及び幸福追求」という文言は、このアメリカ独立宣言を丸写ししたものらしい。
フランス国旗の青、白、赤の三色は、自由、平等、博愛だそうだけれども、この三つ目が意外と「財産」であったり「博愛」であったり、「幸福追求」であったり微妙に変わる。
いまやアメリカ建国の父ジェファーソンのデリカシーなどどこへ行ったやら、「自由」=「財産」とばかりに、世界に「博愛」や「幸福追求」などはどこか隅っこの方に追いやられてしまいました。
さらに「自由」も「財産」の自由なら認められても、個人の尊厳をもとにした絶対的自由など、様々な「世間」や「公共」の圧力のもとに「自由主義陣営」などという恥ずかしくなるような言葉とともに厚かましく覆い隠されてしまいました。
トランプが登場していろいろ世の中を引っ掻き回してくれるおかげで、この「自由」という言葉の真の意味や実態が、ようやく問い返すチャンスがちょっとだけ出てきてくれた感じがして、それが個人的にはとてもありがたい。
というのも、最近はやたら「自由主義陣営」とか「民主主義陣営」、はたまた「リベラル」といったような言葉が妙に鼻につくようになってしまったから😅
毎度わけのわからないことばかりですみませんが、自転車には、他のあらゆる移動手段と違ってこの「自由」を不思議と感じることができます。
車でもモーターバイクでもなく、電車でも徒歩でもなく、なぜかグラベルロードバイクには、「自由」が最もしっくりと収まる。
理由を聞かれたら困るけど、そこには「自由」を得るために必要な大切な何かがあるように感じられるからかもしれません。
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