11月16日の朝日新聞に、高島易断名乗る幸運乃光をめぐる記事が出ていました。
「高島易断総本部」や「高島易断崇鬼占相談本部」と名乗る宗教法人・幸運乃光に高額な祈祷料などを支払わされる被害を受けたとして、6人が10月末、計1600万円余の支払いを求める訴えを東京地裁に起こした。3月には経済産業省が特定商取引法違反で3ヶ月の業務停止を命じている。
とのこと。
だいぶ前に陰陽師に関する記事を書いたときに、暦と人事・役職任命権が国家体制を維持する側にとって最も重要な権限であったといったような話を書きました。
どれだけ江戸幕府がすべての実権を握っているようにみえても、このふたつを天皇が手離さない限り、その上下関係が覆ることはなかったと。
暦の制定ということが、通貨管理とともにそれほど国家にとっては大事なことであるにもかかわらず、その中枢の役割を担っていた陰陽師が近代国家明治政府によって排斥されるという奇妙な関係のことにふれて書いたのですが、このことに限らずつくづく暦というものはわかりにくいものだと感じます。
というのも、わたしたち本屋にとって「暦」は、とても大事な稼ぎ頭の商品のひとつであるにうもかかわらず、あまた類似品が出版されるなかで、お客さんは何を基準に選んでいるのか、どれが良いのか、商品の絞込みはどうしたら良いのかなかなか見当がつかないものであるからです。
その謎の一端が、今日の朝日新聞の記事で理解することができました。
「高島易断」とは、明治時代の占師・高島呑象が始めた易学のことだ。商標登録が認められておらず、だれでも名乗れる。関連団体は100を超え、高島暦という運勢暦の本が色々出版されているが、各団体のつながりは薄い。
(同記事より)
誰でもだせるのか。
それで各社からきりなく出版されている理由がわかりました。
出版社の営業の方に、大元は官報で出ることをきいたときも驚きましたが、その大元とは天文台で発表する暦のことで、月の満ち欠けや二十四節気などが公表されたもの。それに運勢占いをつけて市販の暦が出来上がっているということらしい。
書店店頭でお客さんがたくさん種類のある暦から、どれをどのような基準で選んでいるのか、何人かのお客さんに聞いたことがありましたが、圧倒的な理由は、
安いから、
見やすいから、
使い慣れたものだから
といった返事で、内容に格別のこだわりを持って選んでいる例はほとんどありませんでした。
わたしのところでは、はじめはこれが大元と思っていた神宮館の暦を基本にしていたのですが、どうやら必ずしも決定的な違いがあるわけではないらしい。
そんな暦のことを知るにつけて、「月夜野町はなくならない」のテーマで旧暦を今はなくなってしまった月夜野町の公用暦ににすることを提起していることも、まんざら無茶なことでもない気がしてきました。
「高島易断総本部」や「高島易断崇鬼占相談本部」と名乗る宗教法人・幸運乃光に高額な祈祷料などを支払わされる被害を受けたとして、6人が10月末、計1600万円余の支払いを求める訴えを東京地裁に起こした。3月には経済産業省が特定商取引法違反で3ヶ月の業務停止を命じている。
とのこと。
だいぶ前に陰陽師に関する記事を書いたときに、暦と人事・役職任命権が国家体制を維持する側にとって最も重要な権限であったといったような話を書きました。
どれだけ江戸幕府がすべての実権を握っているようにみえても、このふたつを天皇が手離さない限り、その上下関係が覆ることはなかったと。
暦の制定ということが、通貨管理とともにそれほど国家にとっては大事なことであるにもかかわらず、その中枢の役割を担っていた陰陽師が近代国家明治政府によって排斥されるという奇妙な関係のことにふれて書いたのですが、このことに限らずつくづく暦というものはわかりにくいものだと感じます。
というのも、わたしたち本屋にとって「暦」は、とても大事な稼ぎ頭の商品のひとつであるにうもかかわらず、あまた類似品が出版されるなかで、お客さんは何を基準に選んでいるのか、どれが良いのか、商品の絞込みはどうしたら良いのかなかなか見当がつかないものであるからです。
その謎の一端が、今日の朝日新聞の記事で理解することができました。
「高島易断」とは、明治時代の占師・高島呑象が始めた易学のことだ。商標登録が認められておらず、だれでも名乗れる。関連団体は100を超え、高島暦という運勢暦の本が色々出版されているが、各団体のつながりは薄い。
(同記事より)
誰でもだせるのか。
それで各社からきりなく出版されている理由がわかりました。
出版社の営業の方に、大元は官報で出ることをきいたときも驚きましたが、その大元とは天文台で発表する暦のことで、月の満ち欠けや二十四節気などが公表されたもの。それに運勢占いをつけて市販の暦が出来上がっているということらしい。
書店店頭でお客さんがたくさん種類のある暦から、どれをどのような基準で選んでいるのか、何人かのお客さんに聞いたことがありましたが、圧倒的な理由は、
安いから、
見やすいから、
使い慣れたものだから
といった返事で、内容に格別のこだわりを持って選んでいる例はほとんどありませんでした。
わたしのところでは、はじめはこれが大元と思っていた神宮館の暦を基本にしていたのですが、どうやら必ずしも決定的な違いがあるわけではないらしい。
そんな暦のことを知るにつけて、「月夜野町はなくならない」のテーマで旧暦を今はなくなってしまった月夜野町の公用暦ににすることを提起していることも、まんざら無茶なことでもない気がしてきました。